マリナーのN響ロマンティック・コンサート
昨日(29日)、サントリーホールでのNHK交響楽団による「N響ロマンティック・コンサート」を聴いてきました。指揮はサー・ネヴィル・マリナー。ヴァイオリンはN響のソロ・コンサートマスターである堀正文。
演目(※はアンコール曲)
ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」
※ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」冬の第2楽章
〜休 憩〜
モーツァルト/交響曲第41番「ジュピター」
※モーツァルト/ディヴェルメント二長調K136第3楽章
今回もまずは余談から。最近サントリーホールへ行くたびに入場前にN響メンバーとよく遭遇する。もちろん、コンサート会場へ行くのだから遭遇するのは当たり前なのかもしれないだが、3回たて続けとはびっくりである。最初がバレンボイムのときに第一ヴァイオリンの宇根京子さん、次が先週の「Soup
Stock」でのチェロの銅銀久弥さん、そして今回は地下鉄のなかから会場までほぼ一緒に歩いていた第一ヴァイオリン次席の大宮臨太郎くんである。大宮くんは今どきの若者らしく、まだ暖かいのに黒に緑のストライプの入ったマフラーをして、颯爽としていました。体型もスラッとしているので、ちょっとモデル風にも見える。それにしても、3回も続くと次は誰に出会えるのかなと楽しみになってくる。次にサントリーホールに行くのは11月7日のパリ管弦楽団である。う〜ん、池田昭子さん、来ませんかねぇ。(笑)
さて、本題である。コンサートの感想は非の打ち所がないぐらい素晴らしいものでした。しかしである。あえて苦言を呈させていただきたい。あ、また寄り道にそれそうだ・・・。
コンサートは素晴らしい。しかしである。料金が高過ぎる。最近のクラシック音楽コンサートの料金は異様に高くなっている。例えばチョン・ミョンフンが振るときの東京フィルのS席は11,000円、11月1日の西本智実が振る日本フィルもS席が10,000円である。そして、昨日のロマンティック・コンサートも演奏者は普段の半分の人数にもかかわらずS席は9000円だった。そのためか、2階のS席の半分は空席というN響コンサートとしては珍しい状態であった。この料金設定は明らかに主催者であるサントリーホールのミスであり、コンサートの内容がいくら素晴らしくても、興行的には失敗である。
「のだめ」のおかげで若者たちがクラシック音楽に足を運ぶようになったのに、それを拒むかのように高い料金を設定するクラシック業界は少しおかしいとしかいいようがない。昨日などは「ロマンティック・コンサート」と銘打つぐらいなのだから、30歳以下の人にはS席をペアで10,000円で販売するぐらいの器量はないのだろうか。N響のサントリーホールでの定期公演のチケットが手に入りくいことはわかっているのだから、今回のように若者向けのプログラムならば、音楽を好きになろうとしている若者たちにもっと求めやすい値段設定をすべきでないだろうか。業界のみなさんは一考していただきたい。
ああ、前置きが長くなりました。すみません。m(_ _)m
1曲目の『ヴィヴァルディ/ヴァイオリン協奏曲集「四季」』。実は私はこの曲を生で聴くのが初めてである。といのも、幼い頃、父親が年がら年中イ・ムジチ合奏団の『四季』をレコードで聴いていて、私のなかではトラウマのようになった音楽だったので、あえて聴くことはなかった。そのために、この曲のCDすら持っていない。
『四季』はご存じのように、春・夏・秋・冬の4つのパートに分かれていて、それぞれが3楽章でなりたっている。第1部の春は主に田園風景を、第2部の夏は暑さと嵐を、第3部の秋は実りと祭りを、第4部の冬は寒さと風を、それぞれ主題に表現している。
楽器編成は第1ヴァイオリン8人、第2ヴァイオリン6人、ヴィオラ4人、チェロ4人、コントラバス2人、そして、チェンバロ、オルガン、ソロの堀正文だった。オルガンが入っているという編成はどうも珍しいようである。
堀正文の奏でるヴァイオリンの音色は派手ではない。しかし、味がある。洗練された味がある。堀は一流のシェフが四季おりおりの季節感ある料理を作るかのように、ヴァイオリンを奏でるのだ。そして、チェンバロ(すごく上手い人だった)やチェロの藤森亮一が隠し味を加えていく。それを支配人のネヴィル・マリナーがお客であるテーブルの前に出してくれる。一度に4つの季節料理を味わえるとはなんと幸せなことであろう。音楽のなかにも風味のきいたコンソメ・スープやとろけるようなビーフ・シチューがあると実感した演奏だった。
2曲目はモーツァルトの『ジュピター』。『四季』同様にお馴染みの曲である。ここではネヴィル・マリナーが完全にシェフである。そして、それを支えるサブが篠崎史紀、永峰高志、店村眞積、藤森亮一といった4人の首席奏者たちだ。
マリナーは83歳にもかかわらず矍鑠(かくしゃく)としていて、鍋(タクト)を返す(振る)手つきも小気味いい。その姿はマスコミに多く出てくるような鉄人ではないが、隠れた名店の匠の味を出してくれる一流のシェフである。
マリナーの一番の素晴らしさはバランス感覚の良さではないだろうか。それは人によってはメリハリが効いていなくて面白くないというかもしれないが、彼はサントリーホールのなかでも自宅でCDを聴いているかのような安心感のある音を作り出すのだ。それは長年数多くの録音に携わってきたからかもしれないが、これは熟練した職人しかできない味なのである。そういう意味では彼は巨匠ではないにしろ、「匠」な人なのだ。まだまだ元気な様子なので近いうちの来日を期待したい。
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26歳の気鋭と83歳の老獪のN響
一昨日(26日)、サントリーホールでNHK交響楽団第1603回定期公演を聴いてきました。指揮は1979年以来28年ぶりにN響に登場となった御年
83歳のネヴィル・マリナー。ヴァイオリンはヨーロッパでは若手有望株の代表と言われている、ドイツ人の父と日本人の母をもつアラベラ・美歩・シュタインバッハー。
演目(※はアンコール曲)
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
※イザイ/ヴァイオリンソナタ第2番の最終楽章
〜休 憩〜
ブラームス/交響曲第4番ホ短調
開演前にサントリーホール前の「Soup Stock」で腹ごしらえのために「8種類の野菜と鶏肉スープ」を一杯食べていると、横にチェロのケースが置いてある。「あ〜、練習帰りにN響を聴きに来ているんだ。えらいなぁ」と思って、その方を見たらなんとN響のチェリストではないか。「おいおい、開演1時間前なのにまだここに居ていいの」と思ってしまった。まあ、前日にすでに本番をしているから、集合時間は遅くても平気だろうけど、随分と余裕があるなぁと感心してしまった。
さて余談はここまでにして、1曲目のヴァイオリン協奏曲では、クラシック音楽において楽器の違いは顕著であるが、なかでもヴァイオリンの音色の違いは、こうも違うのかと思い知らされた演奏だった。
アラベラ・美歩・シュタインバッハーは1981年ミュンヘン生まれというから26歳の気鋭のヴァイオリニストである。彼女が使用する楽器は、日本音楽財団より貸与されている1716年製ストラディヴァリウス「BOOTH」。彼女はこの名器の良さを引き出すべく、自由自在にヴァイオリンを操っていく。このヴァイオリンからは低音から高音まで清らかな音色が奏でられる。それは慎ましやかであり、女性らしい柔らかさをもっている。
この協奏曲は全体に叙情的でしなやかな印象のある作品だ。またカデンツァ(即興的演奏)でも伸びやかな演奏が求められる。こうしたことをシュタインバッハーは見事に表現している。ややもすると単調で長い協奏曲でもあるのだが、N響の伴奏の妙もあり約45分にもおよぶ演奏を心地よくうっとりと聴いていられた。
シュタインバッハーがただストラディヴァリウスという名器に頼っているだけのヴァイオリニストでないことを証明したのがアンコール曲だ。ここでは彼女は弦が切れるのではないかと思うぐらい、力強く音を奏でていく。それは師匠のひとりでもあるアンネ=ゾフィー・ムターのような大胆な迫力である。先ほどまでの女性らしさの音色ではなく、今度は男性的な音色をうならせる。この実力と輝きを見せつけられると、ショスタコーヴィチやバルトークなどの難解な協奏曲も聴いてみたくなる。先日の日記で日本にはどれだけの優秀な女性ヴァイオリニストがいるのだろうかと書いたが、海外にも日本の血をひいた優秀なヴァイオリニストがいるのだなと実感させられた演奏だった。
休憩を挟んで私の大好きなブラームスである。私はこれまでに海外のオケを含めて数多くのブラームスの交響曲を聴いてきているが、そのなかでもN響はフィラデルフィア管弦楽団と並んでブラームスに関しては世界のトップレベルにあると思っている。ブラームスというと必ず「暗い」「重い」などという言葉が用いられるが、私は別にブラームスは暗いとも重いとも思わない。その点において、フィラ管やN響は、腰の坐った弦の深みと厚み、しっとりと落ち着いた木管の渋味、ふくよかできらびやかな金管の輝きを見事に表現している上、それが綺麗にアンサンブルされているオケだと思うからだ。
今回の演奏では金管だけに少しもどかしさを感じたが、それ以外はもうブラームス好きからすればパーフェクトであった。そして、この演奏を指揮したネヴィル・マリナーの老獪さというか音のバランス感覚を大事にしている姿にはただ脱帽するだけであった。終演後に赤いバラの花束をもらった彼は「オレはまだ引退しないから、この花をあげるよ」とばかりに第二ヴァイオリンの大林修子に上げていたが、その気骨さで来年もぜひ来て頂き、ブラームス交響曲第2番あたりを振ってもらいたい。その前に29日のロマンティック・コンサートが楽しみである。
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約10年ぶりの東京フィル公演
昨日(19日)、サントリーホールで東京フィルハーモニーの第742回サントリー定期シリーズへ行ってきました。指揮はミハイル・プレトニョフ。ピアノはアレクサンドル・メルニコフ。実は東京フィルを聴くのは約10年ぶりである。私は1989年にBunkamuraができたときから10年ほどは
Bunkamuraの会員で、シアターコクーンで芝居を見たり、オーチャードホールで海外オケの公演を聴いていた。そして、当時オーチャードホールをフランチャイズにしていた東京フィルの公演も2〜3回聴いたことがあるが、当時の東京フィルのレベルはお世辞にも上手とはいえなかった。
演目(※はアンコール曲)
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第2番
※スクリャービン/2つの詩曲 作品32の1番
〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第4番
1曲目のプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番は初めて聴く。曲は交響曲のように4楽章構成になっている。プログラムによると、プロコフィエフは自伝のなかで初演時に「この未来派の音楽め、くたばってしまえ」と言われたそうだ。逆にモダニストには「素敵だ!んなんという新鮮さだ!」と言われたという。
確かに主題となるようなメロディは第4楽章に出てくるぐらいで、全体を通しての一貫性を感じられない。それでも、時に激しく攻撃的であったり、時にメロウに情緒的だったり、と揺れ動く感情を前衛的に表現していると思う。さて、そんな非常に難題な曲を、1973年生まれの
アレクサンドル・メルニコフは見事に弾きこなす。そのタッチは時にロマンチックな香りを生み、時にロシア人特有の雄大さを醸し出す。指揮のプロコフィエフの連携も見事に合っていて、初めて聴くプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番を堪能させてくれた。この何処にでもいそうな風貌の青年のピアノをまた聴いてみたいと思う。
休憩を挟んで、私のお目当てのチャイコフスキーの交響曲第4番。何がお目当てだったかというと、今回は指揮のミハイル・プレトニョフである。彼は
1978年にチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で1位になったこともある有名なピアニストにして、作曲家である。その彼がどのように自国の大先輩であるチャイコフスキーを指揮するかに興味があったのである。しかし、結論は正直凡庸であって、期待が大き過ぎたのもあるがちょっと残念だった。
第1楽章。出だしでホルンがまず滑るというか籠もる。その後トランペットがフォローするが、やはり出だしは肝心である。先日の日本フィルのショスタコヴィッチでも同じだったが、楽章の冒頭でホルンが上手くいかないと、その楽章を立て直すことはなかなか難しいようである。それを指揮のプレトニョフは最後までひきづったのかもしれないが、指揮に精彩がないのだ。彼の指揮ぶりは足などの下半身をほとんど動かすことなく、オーソドックスに上体だけでちょっと格調高くタクトを振る。それはそれでいいのだが、どうも今ひとつオケと噛み合っていないのである。
第2楽章。オーボエによって牧歌的な主題メロディが奏でられる。ある意味、この交響曲最大の聴きどころである。ただ、ここでもプレトニョフの指揮にメリハリがなく、淡々と流されている感じがする。逆にヴァイオリンなどは抑え切れないで、大きく表現をしようとする。特に第2ヴァイオリン首席のお兄さんの揺れること揺れること。その感情移入にちょっとびっくり。
第3楽章は有名なピチカードによる楽章である。弦のメンバーは弓を譜面台などに置き、1楽章まるまる指で弦をはじく。これが実に揃っていて気持ちがいい。途中に入るピッコロの音色も爽やかだ。東京フィルの実力を弦の心地よい響きと共に味わったような気になる。
第4楽章。フィナーレである。暗やみのなか一挙に抜け出したように荘厳なファンファーレが流れてくるが、ここでもホルンが合わない。つくづくホルンという楽器の難しさを知らされる。また、プレトニョフはこの最終楽章にきても淡々と指揮をするだけである。彼の指揮には明暗というか陰陽が感じられない。常に中間色を描いている感じがするのだ。だから、ダイレクトにビビッと伝わってこないのかもしれない。
プレトニョフの指揮に期待を抱きすぎたが、東京フィルの実力の片鱗は感じとることができた。先日の小山実稚恵と日本フィル公演に行ったときに同伴の母親は「日本のオーケストラも本当にうまくなったわねぇ」と関心していたが、私にとって10年ぶりに聴く東京フィルは「とんでもなく上手くなったなぁ」と思わざるをえなかった。東京フィルは来年2月と3月公演のチケットを確保してあるが、それが今からちょっと楽しみになってきた。
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小山実稚恵+ラザレフ & 日本フィル
昨日(14日)、サントリーホールでの日本フィルの第317回名曲コンサートへ行ってきました。指揮は次期首席指揮者に就任が決まったアレクサンドル・ラザレフ。ピアノは先日のN響に続いて小山実稚恵。コンサートマスターは来月から就任予定の江口有香がフライング気味で出演。
演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/バレエ組曲「眠りの森の美女」
チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第3番
〜休 憩〜
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番「革命」
※ショスタコーヴィチ/馬あぶより「ロマンス」
初ラザレフである。ラザレフは現在のロシアを代表する指揮者のひとり。写真ではちょっといかついロシア人に見えるが、実際のラザレフは老眼鏡を鼻眼鏡にして、かなりフレンドリーで軟派な印象をうける。
1曲目は「眠りの森の美女」。5曲で構成された組曲だが、この日本フィルの演奏が素晴らしい。それもそうだ。ラザレフはボリショイ劇場で芸術監督および常任指揮者をしていた過去があるのだから、この曲はお手のものなのだ。ここでの彼の指揮は大柄な身体に似合わず懇切丁寧。彼が指示する手によって、金管や木管はまるで玉手箱か宝石箱を開けたときのような輝きを見せてくれる。ラザレフ只者でないぞ、と思わせてくれる演奏だった。
2曲目は初めて聴く曲。小山実稚恵も初めて弾く曲。プログラムによると、この協奏曲は当初は通常の形式と同じように全3楽章に仕立てるつもりだったが、作曲者であるチャイコフスキーの意向によって、第1楽章にあたる部分だけを抜き出して1つの楽曲として発表したという。そのために演奏時間は16分と協奏曲としては短い。
小山実稚恵はいきなりピアノを壊すのではないかと思うぐらい、鍵盤を叩く叩く叩く叩きまくる。その勢いはまるで「のだめ」がコンクールでリストの「鬼火」を弾いていたときのような形相だ。もう会場中を圧倒してしまう迫力である。ただ、初めの1〜2分は指揮者やオケとの呼吸があっていない。それでも、ラザレフはうまくオケを軌道修正させて小山のペースにあわせていく。このあたりのラザレフの手腕は見事である。
演奏中盤の87小節約5分に及ぶカデンツァ(即興的演奏)になると、観客の視線およびオケのメンバーの視線は彼女に釘付けになる。ここの演奏がとにかく凄かった。小山の指は、時に絹の白糸の滝のように華麗に流れ、時に何匹かのミツバチがロマンチックに花の上を行き交うように舞ったりするのである。今の彼女にとってはどんな曲も無敵だろう。それぐらいノリにノリまくっている。私はあまりピアノソナタに興味がある方ではないが、いつか彼女のソロを聴いてみたいなと思うような演奏だった。
そして、休憩を挟んで私のお目当てのショスタコーヴィチの名曲・交響曲第5番である。
第1楽章の出だし、いきなりチェロが滑る。ここは思いっ切り低音を響かせてほしいところだったのに・・・。次の第2楽章も同じようにチェロからスタートするが、ここは無難にまとめてくれたが・・・。この曲にとって楽章の始まりの善し悪しは楽章全体の善し悪しを左右しかねないのだから、チェロにはもう少し奮起していただきたい。
1曲目の「眠りの森の美女」では非常にまとまっていたオケが、このショスタコーヴィチではバランスがかなり悪い。まずトランペットやホルンなどの金管の音色が強過ぎて、木管の優しい音色はフルート以外ほとんど伝わってここない。また、弦も上手(右手)側のヴィオラやチェロの音色に比べると、ヴォイオリンの音色が弱いというか胸に来るものがない。こうした少々粗い音のバランスを今後ラザレフならび日本フィルは見直すべきではないだろうか。
ラザレフは日本フィルのHPで、来年9月からの常任指揮者就任についての抱負を語っている。そのなかで彼はプロコフィエフの交響曲全曲を演奏したいようだが、できればカリン二コフも演奏してもらいたい。お願いします。そして、日本フィルの新しい方向性を見いだしていただきたい。
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小山実稚恵のブラームスと「運命」の返り討ち
昨日(6日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1602回定期公演を聴いてきました。指揮はN響正指揮者の外山雄三。ピアノは日本を代表するピアニストの小山実稚恵。小山実稚恵は他のオケの共演で聴いたことはあるが、N響との共演を聴くのは私にとっては初めてであった。
演目
ブラームス/ピアノ協奏曲第1番ニ短調
〜休 憩〜
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調
私はブラームスのピアノ協奏曲第1番を密かに「ブラームスの交響曲第0番」と呼んでいる。この作品は彼が25歳という若い時に書いた作品であり、実際にこの曲を途中まで交響曲として書いていたようである。そのために、ピアノ協奏曲としては稀にみる大規模かつダイナミックな曲となっていて、演奏時間も約45分にも及ぶ。ブラームス好きにはたまらない曲でもある。
第1楽章。小山実稚恵は最初の約5分間に及ぶ序奏を身体を左右に振りながら、身を委ねるようにしてN響の演奏を聴いている。そして、ピアノに指が触れると同時に、力強く鍵盤を叩いていく。しかし、それは決して日本人女性としての品位を忘れることなく、優しさ、淑やかさ、慎ましさを体現している。この人の音色には日本人だからこそ解るオーラみたいなものがあり、それがまるでエコーがかかったように、広いNHKホールに響き渡っていく。途中、いくつかのミスタッチもあったが、小山はそんなことおかまいなしに、自分独自の内面的な世界を築いていく。それはまるで綺麗な洋館で孤独にピアノを弾くお嬢様のように見える。そして、外山雄三およびN響のメンバーはしっかりとその洋館を囲む木立を築いていく。
第2楽章。ここはアダージョだ。小山が奏でるピアノは洋館の部屋で悲しく泣いている。それはあたかもピアノ台に頭をもたげながらも、涙が指に代わって音を叩くかのような痛々しさでもある。こんな表現力のあるピアノは未だ嘗て聴いたことがない。その寂しさと悲しさにお客を倒錯の世界に導いていく。その証のように客席のあちこちで膝においてある物を落すような音がする。つまり小山はまるで催眠術師のように、お客を洋館の一室に眠らせていくのである。人によっては睡魔に襲われる世界かもしれないが、私にとっては身の毛もよだつような恐ろしい世界に導かれるような音色であった。
第3楽章。今度は小山の指先は撥ねる、翔ぶ、そして舞う。それは洋館のガラスが割れ、外壁が落ち、屋根が傾いていくような凄まじい勢いがある。またオケが奏でる木立にも強い風を送り込む。まるで前衛的芝居を観ているかのような錯覚すらおぼえる。そして終楽章では、小山の内面的な世界は色彩溢れるきらびやかな外面的な世界になり、オケと連動していく。彼女にとって今回が初めてのブラームスのピアノ協奏曲であるなどと誰が信じられようか。小山実稚恵の表現力は今しばらくは無限の可能性を秘めているようだ。彼女にはブラームスがお似合いのようである。
休憩を挟んだ2曲目は3日前に「不満ボイム」と書いたベートーヴェンの交響曲第5番である。この交響曲第5番は日本では広く「運命」という題名で知られている。先日のベルリン・シュターツカペレの公演プログラムにも、はっきり「運命」と書かれていた。ところが、この題名は日本だけの通称であり、世界共通の標題ではない。N響では「英雄」や「田園」は標題として記しているが、「運命」という名はプログラムに記していない。
第1楽章。あの「ダダダダーン」という緊張感溢れる音色が腹にこたえる。前曲のブラームスピアノ協奏曲では外しまくっていたホルンが、今度は息もピッタリとオケをリードしていく。また、ティンパニーの植松透の的確な響きが、コンマス堀正文率いるヴァイオリンをはじめとした弦を支えていく。心地よい緊張感が会場を漂う。やっぱり「運命」はこうでなくちゃと悦に入る。
第2楽章。ここはソナタ風な二重変奏曲。ここもホルンの高らかな音色がメロディをリードしていく。そして、フルートの神田寛明、オーボエの茂木大輔、クラリネット磯部周平(?)、ファゴット岡崎耕治の4人がしっかりとソロパートを演奏する。木管陣のいつもながら安定しているなぁと感心させられる。
第3楽章。冒頭にこれまた高らかにホルンが鳴り響く。そして、私が大好きなチェロ、ヴィオラ、第二ヴァイオリンとメロディが流れていくパートでは、それはまるで心臓の鼓動が左胸から脳裏に伝わるように流れるように連なっていく。これです。「運命」はこうでなくちゃとまたもや悦に入る。
第4楽章でもホルンは冴えまくり、トランペット、トロンボーンと共に金管の色鮮やかな音色を轟かせる。そして、弦も木管も完全に協働作業として、ベートーヴェンの緻密で緊張感あふれるメロディを奏でていく。そして、終曲部分では第4楽章だけのためにずっと座っていた日本一のピッコロ奏者と言われる菅原潤がピロロロッ〜♪ピロロロッ〜♪と引き締まった音を奏でる。これですよ、これですよ。思わず納得してしまう。パチパチパチパチ。
最後にN響の「運命」は見事に3日前のベルリン・シュターツカペレの返り討ちをしてくれた。その意味では非常に満足して、当然ながら帰り道は飲み歩き「不満ボイム」が解消した。(笑)
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ベルリン・シュターツカペレには不満ボイム
昨日(3日)、サントリーホールでベルリン国立歌劇場のオーケストラであるベルリン・シュターツカペレの公演を聴いてきました。指揮は今や世界の5本の指に入るであろう実力と人気を兼ね備えている帝王ダニエル・バレンボイム。
演目
R.シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」
〜休 憩〜
ベートーヴェン/第5番ハ短調「運命」
バレンボイムと言えば、パリ管弦楽団やシカゴ交響楽団の指揮者として名声を馳せた人である。私はアメリカでシカゴ交響楽団を聴いたことがあるが、そのときはまだ音楽監督がサー・ゲオルク・ショルティが君臨していた時代。私がバレンボイムを聴いたのはシカゴ響に赴任間もないころで、今回が10数年ぶりになる。
ところで、いきなり余談ですが、開場前にスタバのコーヒーを飲みながら、ホールが開くのを待っていたら、私の前を黒と赤の洋服で纏った綺麗な若い女性が歩いていきました。あれまあ、私のご贔屓のN響のヴァイオリン美人奏者・宇根京子さんではありませんか。第三種接近遭遇(ちと古いか)です。オーボエの池田昭子さんとは開演前の室内楽で2〜3回遭遇していますが、宇根さんとは初めてです。思わず後を追いかけようかと思いましたが、私は「ストーカーではない、ストーカーではない」と自問自答しながら自制しました。(笑)
さて、コンサートです。これがいただけません。正直、久しぶりの海外オケの外れでした。何が悪いと言えば、コンマスです。この人、なんというか音色もよくないし、統率力もありません。バレンボイムがなんでこんな人をと思うぐらいです。それに比べて凄かったのは身長2メートルはあろうかというヴィオラ首席奏者の方です。「ドン・キホーテ」は基本的に、チェロ、ヴァイオリン、ヴィオラのソロの掛け合いが聴きどころなのですが、若いチェリストくん、ヴィオラの巨人さんはいいのですが、コンマスがマッチしていないのです。
そのためか、演奏後は若いチェリストとヴィオラ首席奏者に盛大な拍手が送られましたが、コンマスへの拍手は弱かったです。お客さんは正直です。
休憩後は「運命」です。バレンボイムはじっくり腰を落して、そして時に鋭い動きを加えて指揮します。しかし、オケがついていけません。例えば、第一楽章の終曲部分はキレがなく力強さが伝わってこない。第三楽章ではチェロ、ヴィオラ、第二ヴァイオリンとメロディが流れていくパートがあるだが、ここではヴィオラがめちゃくちゃに弱くて、全くバランスがとれていない。また、第4楽章でも金管の主要な音色とそれを支える弦の音色が調和されておらずどことなくチグハグでした。
それでも、演奏後はお客さんからは会場が割れんばかりの拍手。ただ、これはオケに対してというよりも、バレンボイムの指揮とアンコール期待にあった。というのも、舞台下手(左側)にはなぜか使われもしないグランドピアノが置かれていたからである。もし、バレンボイムが機嫌よければ、ピアノを弾くつもりでいたのあろう。そうだとしたら、このコンサートはバレンボイムにとっても不満だったに違いない。
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オーボエ、フルート、コンマスのブラ1
昨日(29日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1601回定期公演を聴いてきました。指揮はモーシェ・アツモン。ヴァイオリンはセルゲイ・クリーロフ。当初、指揮はコンスタンティノス・カリーディスが予定されていたが、健康がすぐれず来日ができなくなり、代わって、モーシェ・アツモンが指揮するようなった。
演目
R.シュトラウス/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219「トルコ風」
〜休 憩〜
ブラームス/交響曲第1番ハ短調
1曲目。いきなり100人編成の大オーケストラ。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットなどが4人もいる。ヒェ〜。それゆえに見知らぬ顔も何人かいる。まあ、そんなことどうでもいい。指揮のモーシェ・アツモンはいきなり全開です。エンジンがローからいきなりトップギアに入ったかのような指揮ぶりです。この曲はオケで聴くのは初めてですが、かなりダイナミックで劇的で、聴いていて楽しくなった。アツモンにとって今回が初のN響の指揮だが、彼は名古屋フィルハーモニーや東京都交響楽団の指揮者をしているので、日本のオケはかなり熟知しているのであろう。1曲目でオケを掌握してしまった。
2曲目。私があまり得意でないモーツァルト。なぜ得意でないかというと、メロディがダラダラ流れるようになるところが多く、非常に眠くなるからです。それはこのヴァイオリン協奏曲第5番も同じで、聞こえてくるセルゲイ・クリーロフの音色は心地良い。そのせいか、右隣のオジサンも左隣のオバサマも心地良い世界に入っている。こういう緊張感のない曲はどうも私には向かない。私までウトウトしてしまいました。
そして、休憩を挟んでブラームスの交響曲第1番。数多くある交響曲のなかでも、私はこの交響曲が3本の指に入ると思うぐらい偉大な交響曲だと思っています。それはなぜかといえば、バラエティに富みながらも整然としたメロディの数々、交響曲全体を引っ張る弦楽器の厚みと深みのあるテンポとリズム、木管金管など各楽器の特徴を際出せるソロの音色など、この交響曲には凄さと怖さの魅力が満ち溢れているからです。演奏すること自体はおそらくさほど難しくはないだろうが、指揮者およびオケの力量がはっきり表れる交響曲でもある。
第1楽章。ブラームスとしては非常にゆっくりとした入り方。人によっては何? この間延びした出だしは? と思うだろう。しかし、ティンパニー(久保昌一)の威厳のある音、弦のゆったりと流れるN響がもつ独自の統率力のある音がNHKホールの観客を一瞬にして制圧する。しかし、ファゴットかホルンあたりの和音が乱れる。それでも、アツモンはぐいぐいとオケを引っ張っていく。それに応えるべく、藤森亮一率いるチェロおよび店村眞積率いるヴィオラが、まるで地の底から音を這い上がていくかのように低音を奏でていく。いや〜、この厚みと深みです。他の日本のオケにないリズムと音色です。これを聴かずして何を聴くというのだろうかと思うぐらいです。
第2楽章。緩徐楽章。最初にオーボエ(茂木大輔)が高らかにメロディを奏でて、この楽章をリードしていく。それから、穏やかなヴァイオリンの音色が続き、クラリネット(横川晴児)、フルート(客演の高木綾子)などの美しい音色がNHKホールにこだまする。終章部分ではコンマス(篠崎史紀)のヴァイオリンソロとホルン(今井仁志)による掛け合い。篠崎の高音の響きは綺麗な余韻を残していく。短い楽章なのだが、観客からため息が漏れそうであった。
第3楽章。間奏曲。かなりロマンチックな楽章でもある。流れるようなメロディを木管金管の各楽器がリレーしながら奏でていく。この辺りになると、オケ全体の緊張感が和らいでてきて、メンバーはノリノリで演奏していく。
第4楽章。この交響曲のハイライトというか。ブラームス音楽のエキスがすべて入っている楽章です。第一楽章同様にティンパニーが轟く。弦による不吉な感じのメロディで始まる。しかし、それを覆すかのようにホルンが夜明けを告げていく。加えて、この日最高の音色と思われた高木綾子のフルートが響く。そして、あの有名なメロディが怒濤のように流れていく。なかでも、ヴィオラの響きが冴え渡る。あ〜、やっぱりこの曲はヴィオラなんだよなぁと、ひとり悦に入ってしまう。それは不協和音のように聞こえる部分で更に納得してしまう。アツモンは最後の最後は堅実にまとめていく。見事な仕事ぶりでした。
結論としては、私は昨年1月にヘルベルト・ブロムシュテットが指揮したときの名演奏を聴いているので、残念ながらそのときほどの感動は味わえなかった。それでも、フルートの高木綾子(またN響に出演してほしい)、オーボエの茂木大輔、コンマスのまろ様こと篠崎史紀の3人には心からブラボーと言いたい。また、低音部を支えたヴィオラ、チェロ、コントラバスのみなさんに大きな拍手を送りたい。
この日の演奏会の模様は11月2日(金)午前10時からのBS2「N響演奏会」で放送予定になっている。
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1600回を迎えたNHK交響楽団定期公演
昨日(20日)、サントリーホールでのNHK交響楽団第1600回定期公演を聴いてきました。指揮はアンドレ・プレヴィン。笙は宮田まゆみ。N響の定期公演も今回で第1600回。凄い数字です。ちなみに、第1回定期公演は1927年(昭和2年)2月20日に予約演奏会として開かれたそうです。
演目
武満徹/セレモニアル――An Autumn Ode(1992)
コープランド/バレエ組曲「アパラチアの春」
〜休 憩〜
ラフマニノフ/交響曲第2番ホ短調
1曲目。プレヴィンがなぜ武満徹を選んだのかよく解らない。宮田まゆみの笙の音色は澄んでいていて綺麗だが、プレヴィンは難解な武満の音楽を戸惑いながら指揮しているようにしか見えなかった。
2曲目のコープランドはアメリカ音楽に親しみのある私には非常に楽しめた。プレヴィンがこのバレエ音楽をどう料理するのかを、私は密かに期待していたが、彼は得意な映画音楽風に演奏する。目を閉じて聴いていると、私の脳裏には西部の大平原、映画『駅馬車』の撮影で有名になったモニュメント・バレーの風景が浮かぶではありませんか。う〜ん、プレヴィンの術中にはまってしまったような気になりながらも、悠々と流れていく音色に浸っていました。
そして、本日のメインエベントのラフマニノフの交響曲第2番。
まずは結論。この演奏をなんでNHKホールでやらなかったのだろうか! 私はアシュケナージがラフマニノフのピアノ協奏曲の最大の理解者と思っているが、この交響曲第2番に関してはプレヴィンが最大の理解者であろう。78歳のプレヴィンは渾身の力をふりしぼって自分の十八番を指揮した。しかし、おそらく二度とこの曲を日本で振ることはないだろう。
なのに、観客の多くはもう60歳を軽く過ぎようとしている高齢者ばかりで、若い人はほとんどいなかった。NHKホールでやっていれば、10代、
20代に聴くチャンスはあっただろう。ラフマニノフのメロディの優雅さと甘美さ、それを的確に指揮するプレヴィンの姿を若い世代に聴かせたかった。プレヴィンがどれだけラフマニノフを愛して、そして次世代に伝えたかったかを感じた演奏だった。
第1楽章。ゆったりとした悲しみを帯びたメロディ。それに加えてイングリッシュホルン(和久井仁)の悲しい音色。ただ、時間の流れと共にメロディは徐々に悲しみが薄らぎ、喜びに代わっていく。長い長い序奏であるが、プレヴィインはオケに指揮棒をもつ右手、そして柔らかい手首の動きをする左手で指示をしていく。それに応えるべくN響のメンバーも繊細にそして懇切丁寧に音を奏でていく。う〜ん、痺れます。
第2楽章。冒頭にホルンが軽やかなスケルツォのメロディをサントリーホールにこだまさせる。第1楽章とは打って変わってきらびやかなラフマニノフの世界の始まりである。楽章の途中では何度か静寂になったりするが、そのたびにホルンの高らかな音色が響きわたり、まるで立ち上がれというように鼓舞する。そして、その後にはヴァイオリンの美しいメロディが広がっていく。う〜ん、たまりません。
第3楽章。この曲最大のハイライトはいきなりやってくる。「のだめ」で何度も使われた、あのスラヴ調の優雅にして甘美なメロディがヴィオラ、チェロ、そしてヴァイオリンから流れてくる。そして、横川晴児が吹くクラリネットがロマンチックな世界へ誘う。胸が高鳴り、足が震えてくる。そして、涙腺も弛んでくる。いつの間にか身を乗り出して聴いている。クラシック音楽を好きになって良かったなと思う瞬間である。恍惚の世界に浸っているかのような気さえする。このメロディ、この音色、この世界、いろんな人に聴いてほしい、感じとってほしい。いつまでもこの時間が流れていてほしい。う〜ん、凄い、凄い、凄いです。
第4楽章。冒頭から勇ましいメロディが奏でられる。プレヴィンの手は水を得た魚のように右に左に動き、オケを明るいラフマニノフの世界へ導いていく。それに呼応するかのように、N響のメンバーたちもワクワク感を自分たちで感じながら楽しそうに演奏している。プレヴィンとN響は完全に一体化して音を奏でている。ラフマニノフを楽しんでている。ラフマニノフを自分たちのものしている。う〜ん、羨ましいです。
終演後、第2ヴァイオリンの女性が代表して、プレヴィンに赤い花束を送った。それを受け取るときの顔は厳しいマエストロの顔ではなく穏やかおじいさんの顔だった。
この日の演奏会の模様は10月12日(金)午前10時からのBS2「N響演奏会」で放送予定になっている。ぜひとも録画して、ラフマニノフだけでも聴いてもらいたい。
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池田昭子デーだったNHK交響楽団
昨日(14日)、今シーズン初めてのNHK交響楽団の演奏会をNHKホールに聴きに行ってきました。演目はすべてラヴェル。指揮はアンドレ・プレヴィン。ピアノはジャン・イヴ・ティボーデ。プレヴィンはドイツ生まれだが、フランスで教育を受けているので「オールお仏蘭西」という組み合わせ。
演目
ラヴェル/組曲「マ・メール・ロワ」
ラヴェル/ピアノ協奏曲ト長調
〜休 憩〜
ラヴェル/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)
「マ・メール・ロワ」とは英語の「マザー・グース」のこと。ラヴェルはこの童話集を多種多彩な楽器を屈指して構成している。それをプレヴィンはひとつひとつの楽器の音色を、際出せながら指揮していく。しかしながら、この繊細な曲を理解できない客があまりにも多い。なんと咳払いの多いこと。なんとプログラムのページをめくる音が多いこと。NHKホールでのN響定期会員の低レベルぶりが、せっかくの名曲をダメなものしてしまっている。N響は咳払いを防ぐ方法とか、演奏中にプログラムをめくることを慎むようにといったマナーや注意を、プログラムに書くべきである。ということで、少々怒り心頭で1曲目は終わってしまった。
2曲目のピアノ協奏曲は初めて聴いた。全く馴染がないせいかもしれませんが、ラヴェルの曲としては甘美さに欠けるような気がした。というのも、主題となるメロディがよく理解できなかったからかもしれない。曲がジャズの要素が非常に強く、初めてだとリズムとテンポだけの展開にしか聞こえてこないからかもしれない。でも、非常に楽しめました。
まず、ソリストのジャン・イヴ・ティボーデのピアノタッチは精巧にして華麗だ。「世界で最もエイレガンスなフランス人ピアニスト」というキャッチコピーに偽りはなく、ファッション・センスも抜群で、聴かせると同時に魅せるピアニスト。視覚的にも楽しめる人である。
で、この曲でもっとも楽しめたのが第2楽章。ここは基本的に繊細なピアノソロのメロディが奏でられるが、これに呼応するのが池田昭子のイングリッシュ・ホルン。彼女は世界一流のピアニストの音を引き立てるべく、渾身の力をふりしぼって柔らかく艶のある音色を奏でていきます。いや〜、知らない曲とはいえ、こんなお楽しみがあったとは嬉しい限りでした。演奏後、プレヴィンからスタンディングさせられた彼女への拍手は、ジャン・イヴ・ティボーデにも劣らない暖かいものがあった。
そして、本日のお目当ての「ダフニスとクロエ」。ラヴェルの代表作のひとつとして有名だが、第2組曲だけの演奏が多く、演奏会で全曲を生で聴くのは初めて。
この曲は第1部は神秘性が漂い、第2部は少し挑発的になり、そして、第3部では祝祭色に満ちている。バレエ音楽なのでドラマティックであることは言うまでもない。プレヴィンは第1部はゆっくりしたテンポで、第2部では少しそのテンポを上げて行く。そして、常にオケの色彩感に気を配っているようで、木管金管パートの音色を巧みに重ねあわせながら引き出しいく。いや〜、驚きです。プレヴィンはオケを室内楽にしたり、管弦楽にしたりとパートパートで操っていくのです。
第3部はこの曲のハイライト。ここではプレヴィンは大胆な抑揚をつけてオケを導いていく。そして、最後は木管・金管・打楽器そして弦が、まるで覚醒するかのように乱舞していく。いや〜、思わず鳥肌が立つのではないかと思うほどの凄さだった。
終演後、N響のメンバーはみんな額や顔の汗をハンカチで拭っていました。熱演であると共に難しい曲であることを物語っていた。そして、ここでもプレヴィンはフルートの神田寛明、オーボエの青山聖樹らと共に最後に池田昭子をスタンディングさせた。プレヴィンはどうやら彼女がお気に入りのようだ。
というわけで、池田昭子ファンとしてはたまらない一日であった。(笑)
追記:この日の演奏会の模様は10月5日(金)午前10時よりBS2「N響演奏会」で放送予定になっています。
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吉田恭子+コバケン & 日本フィル
昨日(8日)、サントリーホールでの日本フィルの第316回名曲コンサートへ行ってきました。指揮は「炎のコバケン」こと小林研一郎。ヴァイオリンは吉田恭子。サントリーホール「リニューアル記念公演」と銘うったせいかチケットは前売で完売。しかし、1階席および2階席センターにはかなりの空席が目立つ。ちょっとおかしな光景だった。日本フィル製作サイドはこの異様な光景を厳粛に受け止めてほしい。
演目(※はアンコール曲)
グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミラ」より序曲
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
〜休 憩〜
ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/組曲「展覧会の絵」
※マスカーニ/歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
※ブラームス/ハンガリー舞曲第5番
※「展覧会の絵」終曲部1分30秒
まず最初にリニューアルしたサントリーホールについてだが、一体どこが変わったのと思うぐらい見た目は解らない。ただ、間違いなく舞台が広くなった。サントリーホールのHPによると「可動式セリを一部増設して、大編成のオケでの演奏が可能になった」と書いてある。といってもこれまでも大編成オケの演奏はあったので、前より演奏しやすくなったというのが正しい言い方ではないだろうか。あと、ホールの内壁や床などの板は綺麗に張り替えている。客席の椅子も素材や色などは同じだが、これも間違いなく張り替えている。ロビーなどでは男性トイレが狭くなって、女性トイレが広くなった(大方の声)ようだ。
さて、演奏の方だが、初めて聴く吉田恭子にはちょっと惚れ惚れした。というのも、最近聴いている女性ヴァイオリニストはみんな迫力たっぷりの人が多く、失礼な言葉かもしれないが女性的な繊細さという言葉には少し縁遠かった。それにひきかえ、吉田には迫りくる狂気のような迫力はないものの、女性ならではのクリスタルな透明感な美しい音色が胸に響いてくるのである。
吉田恭子は東京生まれ。桐朋学園大学音楽学部を卒業後、英国ギルドホール音楽院、米国マンハッタン音楽院に留学。アーロン・ロザンドに師事。ニューヨークを拠点に演奏活動を行っているヴァイオリニストである。吉田は白から薄いピンクへ変わるグラデーションのドレスで登場。とってもオシャレで都会的な感じがする。そして、美人の綺麗なお姉さんだ。
第1楽章。吉田が奏でるヴァイオリン(使用楽器は解らず)からは甘い香りが漂ってくる。それはチャイコフスキーが生まれたロシアの大地を漂う香りでなく、喧噪とした都会のなかに佇む女性ならではの甘美な誘惑の香りがする。その甘美にして耽美な音色がサントリーホールに響いていく。後半のソロではその女性ならではの繊細的な音色、ひとつ間違えば男に溺れてしまいそうな官能的な音色が情感たっぷりと観客を魅了する。あ〜、ヴァイオリンが女性の裸体であるということを不覚にも認識してしまう。
第2楽章。ここで指揮のコバケンは吉田のヴァイオリンとオケを見事に融合させる。吉田もここは自分が主役でないということを解っているようで、フルート、クラリネット、ファゴット、オーボエの木管楽器を引き立ていく。そして、4人の奏者たちもそれに見事に応えていく。
第3楽章。ふたたびヴァイオリンが主役だ。吉田の奏でる音色はここでも甘美にして耽美だ。ロシアの民族音楽トレパークをモチーフにした激しいメロディでも、高音はあくまでも伸びのある艶やかさ、そして低音は張りのあるしなやかさで勝負する。そして、最後は自分の感情おもむくままに破裂させていく。なんと情熱的なチャイコフスキーなことだろう。
これまでに何度もこの協奏曲を聴いたが、これほど女性らしい音色は初めてだ。観客を少し醒めた異次元の世界に導く吉田恭子の音色。とっても誘惑的であり魅惑的であった。
『展覧会の絵』はコバケンの十八番のひとつ。コバケンは唸る。首を振って指揮をする。もうコバケンの世界だ。なにも言うことはありません。隣の席のお兄ちゃんは「ブラボー!」を5回ぐらいは叫んでいました。
それにしても、コバケンは日本フィルの宣伝を入れながら、アンコールを3曲もやるなどサービス精神旺盛というかショーマンシップのある人だ。
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