| クラシック音楽鑑賞記録(2008年1月〜2月) |
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2008/02/27(水) 東京芸術劇場 ゴールドなモーツァルト 2008/02/22(金) サントリーホール ラフマニノフはお好き? 2008/02/20(水) サントリーホール モーツァルトはお好き? 2008/02/17(日) オーチャードホール ダニエル・ハーディング&東京フィル 2008/02/15(金) NHKホール マーラーはやっぱり不得手 2008/02/08(金) ミューザ川崎 ノリントンとノンヴィブラート奏法 2008/02/02(土) ミューザ川崎 川畠成道&東響+シズオ・Z・クワハラ 2008/02/01(金) サントリーホール シベリウスと吉松隆の名曲 2008/01/24(木) サントリーホール グレイトなブロムシュテッドとN響 2008/01/18(金) NHKホール N響のオール・シベリウス・プログラム 2008/01/06(日) オーチャードホール ロッセン・ミラノフという大きなお年玉 |
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CONTENTS
ゴールドなモーツァルト 演目(※はアンコール曲) 1曲目。マーラーは不得手、モーツァルトは苦手、そしてハイドンはほとんど聴かない。マーラーやモーツァルトのCDはもっていても、実はハイドンのCDを一枚ももっていない。それゆえにハイドンの曲はほとんど知らない。さて、演奏であるが、演奏開始後いきなりチェンバロの譜面台が倒れるアクシンデントはあったものの、小編成のオーケストラには影響はなく、坦々と演奏されていった。私には少し退屈な曲である。 2曲目。この日のお楽しみはこの曲である。オーボエ協奏曲と言えば、この曲である。そして、吹き振りである。いくらモーツァルトが苦手の私でも、この曲は知っている。最初こそ、シェレンベルガーはオケを指揮していたが、オーボエを吹き始めてからは完全に奏者に徹して、美しい音色を会場に響かせていった。「のだめ」では「ピンクのモーツァルト」だったが、シェレンベルガーの奏でるオーボエは、いぶし銀の味を含んだ「ゴールドのモーツァルト」で、きらびやかな音色に聴きいってしまった。演奏中、オケのオーボエの青山聖樹が終始、シェレンベルガーの演奏を食い入るように見ていたのが印象的だった。 3曲目のN響メンバーは第1ヴァイオリンは篠崎・大宮・酒井・田中ほか全14人、第2ヴァイオリンは山口&大林ほか全12人、ヴィオラは佐々木&井野邊ほか全10 人、チェロは木越&藤村ほか全8人、コントラバスは吉田ほか全6人、オーボエは青山&高木、フルートは甲斐&細川、クラリネットは横川&松本、ファゴットは岡崎&客演、ホルンは吉永雅人(新日本フィル)・客演・樋口・中島、トランペット津堅&佛坂、ティンパニー久保であった。 指揮台の前には譜面台がない。シェレンベルガーはこの曲を熟知しているのだろう。楽章間にまったく休みをとらず一気に演奏する。シェレンベルガーの指揮は非常に淡泊で、オケをとにかくまとめようとしていく。それでもクライマックスに入ってからは、メリハリを効かせて「スコットランド」の情景を思い浮かべさせてくれる。全体的に早いテンポの演奏だったが、 最後に、今回初めて都民芸術フェスティバルに行ったが、観客マナーの悪さには少し驚いた。演奏中にプログラムの音をたてたり、バックかなにかについている鈴の音がしたり、休憩中とはいえ客席で携帯を操作したり、客席にチラシを巻きちらして帰っていったり、とその酷さは目にあまるものであった。これは都民芸術フェスティバルの客だからなのだろうか、それとも東京芸術劇場3階席の客だからなのだろうか。
ラフマニノフはお好き? 演目 渡邊一正は1966年東京生まれ。1991年に東京フィルで指揮者デビュー。92年にスチューデント指揮者に、94年にアシスタント指揮者に、そして96年から今日まで東京フィルの指揮者を務めている。彼はNHK交響楽団とも定期的に共演を行い、他にも数多くの国内外のオケの指揮をしている。またピアニストとしても有名で、数多くのオケと共演していて、弾き振りも行い、その才能を多方面から評価されている。私も以前彼のピアノを聴いたことがあるが、その上手さに驚いた。おそらく日本一ピアノ上手な指揮者なのではないだろうか。 1曲目。小山実稚恵は凄い。第1楽章冒頭、彼女はピアノに問いかけるようにラ・ラ・ラ・ラー・ラー・ラーン(うまく書けない)という有名な旋律を奏でていく。次第に自分の気持ちが高揚してき、上体を後ろにもたげると長い髪がを後ろへ揺れる。そして、一転して、鍵盤を叩く、叩く、叩く、叩きまくる。その迫力にピアノが悲鳴をあげていく。オケも悲鳴をあげて、ついていけない。サントリーホールは完全に彼女の独壇場と化す。指揮の渡邊一正もそれを喜んでいるかのようさえ見える。もちろん観客は小山の鬼気迫る演奏に圧倒されていく。とにかく、凄い。エンジンフル回転。彼女の指先はまるで早送りの映像を見るかのような超高速回転。いったい一秒間に彼女は何回鍵盤を叩いているのだろうかと、思ってしまう。 第2楽章。導入部は少し長いオケだけに演奏。ここでオケは自分たちを取り戻すかのように演奏する。しかし、そのあとのソロに入ると、またもや小山ワールドだ。ここでは彼女はなだらかに続く旋律を糸を紡ぎ合わせるかのように丁寧に弾いていく。そして、アクセントが強くなるところに入ると、またもや叩く、叩く、叩きまくる。しかし、今度はピアノは悲鳴をあげない。ピアノは「オレ様の音を聴けよ!」と言わんばかりにホールの四方八方に音符記号を撒き散らしていく。 第3楽章。私の隣の席に座っている子は、膝の上に置いていた「のだめバック」の上で指を動かし始める。彼女は自分の感情を押さえ切れなかったのだろう。そして、小山と一緒にオケと共演したかったのだろう。もろろん、舞台の小山はそんなことも知るよしはなく、またまた小山ワールドを全面展開していく。そして、終曲に近づくにつれて、彼女の指はとても尋常な人間ワザには見えない早さで鍵盤の上を縦横無尽に動き回る。最後の最後にしてオケも小山についてくることができ、大団円を迎えた。 これまで何度も小山実稚恵のピアノを聴いてきたが、今回ほど狂気に満ちた彼女を見たのは初めてである。ラフマニノフも苦笑しているに違いない。 2曲目第1楽章。悠久の流れと壮大なロシアの土地を表わしているような楽章。そして、ラフマニノフの屈折した精神も一緒に表現しているようでもある。そのために、ここは大らかな演奏と共に少し淀んだイメージを作るべきなのではと思う。しかし、残念なことに東京フィルの音はクリアすぎていて、ラフマニノフの感情を表わしているようには聴こえない。 第2楽章。ここはスケルツォなので、オケは第1楽章の呪縛から解かれたかのように軽快だ。そして、ここまでがこの曲の前奏みたいなものである。 第3楽章。クラリネットが奏でる旋律と共に、甘美なスラヴ調の旋律が弦から次々と奏でられる。渡邊はここでは全身の力をこめてオケを導いていく。ここがこの曲の最大のハイライトを察しているからであろう。隣りの席の「のだめバック」の子もそっと涙を拭いている。 第4楽章。渡邊はオケと共にラフマニノフの世界を満喫するかのように快活にタクトを振るようになる。それまでのセーブしていた指揮ぶりとは違い、少し背伸びをしているようにすら見える。それでも、彼はこの1時間以上にも及ぶ大作の最後を飾るべくじっくりと指揮をしていく。その心意気がオケの音色にも伝わっていくようであり、解放感に満ち溢れたラフマニノフの感情を最後に表わしてくれた。 渡邊一正にラフマニノフは似合う。それは彼のピアニストとしての才能がラフマニノフをまとめあげているからではないだろうか。いつかN響でもまたラフマニノフを指揮してもらいたい。
モーツァルトはお好き? 私は現在N響のBプロ2日目とCプロ1日目の会員であるが、N響の場合、会員はその日の都合が悪い場合は事前に連絡すれば、チケットを振替えることができる。今回はその制度を利用させていただき、本来ならば本日(21日)2日目のチケットを1日目のチケットと振替えさせてもらった。ただ、こうした場合、席が悪くなるのが普通なのだが、幸いにして私の席はほとんど変わらない場所でビックリだった。 演目 ハンスイェルク・シェレンベルガーは1948年ドイツ生まれ。13歳からオーボエを始め、1967年にミュンヘン国立音楽大学に入学。1971年にケルン放送交響楽団に入団。翌年にミュンヘン国際コンクールで2位に入賞。1975年首席奏者に昇格。1980年ベルリン・フィルの首席オーボエ奏者に就任。彼がベルリン・フィルに移ったケルン放送響の後任は宮本文昭だった。2001年にベルリン・フィル退団後は演奏活動と共に指揮活動も本格化する。彼の指揮は演奏家が指揮者をするという余技の範疇ではなく、学生時代から指揮を学んでいる。 私はマーラーが不得手である。そして、モーツァルトも同様に得意でない。理由は旋律があまりにも格調高すぎるからである。そして、退屈になり眠くなる曲が多いからである。(笑) 1曲目。オーボエはシェレンベルガー&池田、クラリネットは磯部&松本、バセット・ホルンは加藤&山根、ファゴットは岡崎&菅原、ホルンは樋口、勝俣、日高&客演、コントラバスは西田の以上13人。 演奏開始と共に澄んだ心地よい音色が聴こえてくる。「ああ、これがベルリン・フィルの音色か」と思うが、「おい、ちょっと待てよ、これはクラリネットの音色じゃないか」と舞台を凝視すると、間違いなくクラリネットの磯部周平の奏でる音色だった。その後にはそれに刺激されるかのようにシェレンベルガーのふくよかで暖かみのある「素晴らしい!」の一言の音色が漂ってくる。この曲をコンサートで聴くのは初めてなのだが、瞬く間にモーツァルトの世界に導かれていった。普段は目を開いてコンサートを聴くようにしている私だが、この曲は45分間の演奏中ほとんど目をつぶったまま聴いていた。美しき「グランバルティータ」を堪能させてもらった。 休憩を挟んで後半は普通のオーケストラ編成で、シェレンベルガーが指揮台に立つ。 2曲目。数多くあるモーツァルトのオペラのなかでも有名な曲なのであろうが、私はおそらく初めて聴く。シェレンベルガーは滑らかさに欠けていて、少しギコチナイように見える。それは、決して凄い指揮という感じではないが、指揮者がオケのなかに自ら入っていこうという姿勢で、「ああ、やはり演奏者なんだぁ」と思わざるをえなかった。 3曲目。誰も知っているモーツァルトの代表作。冒頭からあの美しいメロディが流れてくる。コンマスの篠崎史紀の巨体が大きく揺れ動く。テンポは少し早めだが、軽やかにうねるような弦の音色が波のようになってサントリーホールのなかに流れていく。シェレンベルガーもノリノリで、2曲目同様に自分もオケのなかで演奏しているかのように溶け込んでいく。ただ、モーツァルトは眠くなるをくつがえしてくれるような演奏ではなかった。でも、これがモーツァルトなのかもしれない・・・。
ダニエル・ハーディング&東京フィル 演目 1曲目はヴァイオリン協奏曲。これまで何度も聴いている曲。樫本大進のヴァイオリンは太くそして厚い音となってホールを漂い始める。ところが、おかしい。伴奏の東京フィルの音が妙に曇っているのだ。弦も、木管も、金管も。ティンパニーにいたっては完全にコントラバスやファゴットの音に共鳴するかのようなくすんだ情けない音である。 理由はすぐに解った。舞台設定がよくないのである。この日は録音のために舞台のあちらこちらに数多くのマイクが立てられていた。録音のためなのだから、これは仕方がない。しかし、そのために、指揮台やオーケストラのメンバーの位置は通常より奥になり舞台のヘリから3メートル以上も内側にあるのだ。オーチャードホールはシューボックス型形式のホールで時に舞台上で音が籠もってしまうという落し穴がある。その悪影響がもろにでた感じである。このためにソリストとオケの音にまったく一体感を感じられない。樫本も第1楽章終了後に、指揮のハーディングと何事かを話し、チューニングをし直していた。樫本にとっては可哀想な日だった。 休憩時間、ティンパニー奏者は時間をかけて張りを調整していた。 2曲目は私の好きなチャイ5である。ダニエル・ハーディングがどうチャイコフスキーの交響曲を料理するのかが興味深かった。結論からすると、彼はクラシック音楽的演奏と現代のポップス的演奏を融合させるような音楽を志向していて、私にとっては心躍らせるものだった。このことは人によっては二兎を追うもの一兎も得ず、と言われるかもしれないが、彼は明らかに19〜20世紀的クラシック世界と20〜21世紀的ポップス的の融合を狙っているのではないかと思えてならなかった。この果敢な挑戦には賛辞を送りたい。 第1楽章。どんな曲でもそうだが、出だしは肝心である。クラリネットのソロは力強く響く、そして弦も見事に呼応していく。1曲目のヴァイオリン協奏曲のような籠もった音色はまったくない。ティンパニーもビシビシと良い響きを轟かせる。オケはまるで見なかったバリアーを打ち破るかのように、闇の世界から光の世界へ飛び出してくる。ハーディングの体の動きも軽やかにして華麗だ。そして、的確にオケを指示していく。それは言葉は古いが、蝶のように舞い蜂のように刺しながらオケを煽っていく。それに同調するかのように、チェロ首席のルイジ・ピオヴァーノが身体を大きく動かしてオケを先導していく。この連携プレイは最後ま揺るがなかった。 第2楽章。ここはホルンである。あの有名な旋律をいかに奏でるかにかかっている。結果はものすごく美しい音色とは言えないまでも十二分に及第点の音色だった。そして、ハーディングはここでは前楽章と違い、アンダンテ・カンタビーレということもあるからだろうか、徹底した懐古的演奏に徹している。それでも、彼の指揮ぶりは非常に滑らかで、その貴公子ぶりにうっとりする女性も多いのではないだろうか。そして、終盤に登場する冒頭のホルンと同じ旋律を統一感のある弦で奏でさせる。この人、只者ではありません。ちょっと身震いがした。 第3楽章。ここはワルツ。ここでハーディングは非常に軽やかにしてオケを奏でる。話が少しずれるが、ハーディングは楽章間に休みをほとんど取らない。観客に咳払いをさせるような時間を与えない。これはオケに緊張感をもたせるうえでは当然なことで好感がもてた。 第4楽章。第3楽章から雪崩れこむようにフィナーレに入っていく。勝利への雄叫びというか運命に勝ち誇った感動的大団円の楽章である。ここでハーディングは弦をオーソドックスなクラシック的演奏に、木管や金管をポップス的演奏にし分けて融合させる試みているように聴こえる。それは時に相いれない音にも聴こえるが、軽快なテンポとハーディングとチェロのピオヴァーノのノリの良さに押し倒されていってしまう。好きだなぁ。こういう強引さ。日本のオケにあるひ弱さな部分をぶち破ってくれる。この曲の最後はやはり勢いだ。その勢いに徹したハーディングとピオヴァーノにブラボーである。 昨年聴いたミハイル・プレトニョフ指揮による東京フィルのチャイコフスキー第4番は少々期待外れだったが、今回のダニエル・ハーディング指揮による第5番は期待以上のもので、東京フィルの魅力を堪能させてもらった。東京フィルはチョン・ミョンフンという素晴らしい指揮者をすでに抱えているが、これにダニエル・ハーディングが加われば、一段も二段もステップアップできるのではないだろうか。ただ、残念なことに東京フィルの2008〜2009年シーズン定期演奏会に彼の名前はない。 【追記】ダニエル・ハーディングは来年3月に新日本フィルで『幻想交響曲』などをすみだトリフォニーホールで、『英雄』などをサントリーホールで指揮する予定になっています。
マーラーはやっぱり不得手 演目 開演前の室内楽はバルトークの「弦楽四重奏曲第4番」の1、4、5楽章。出演はヴァイオリンが斎藤真知亜&大宮臨太郎、ヴィオラは店村眞積、チェロが藤森亮一というオジサンズ+若者1名という豪華メンバー。バルトーク特有の不協和音と低音強調の四重奏。初めて聴いたがこの曲はプロだけしか演奏しないだろうなぁ、と思う。学生が演奏したら不協和音がとんでもない方向に行きそうである。 1曲目。今年はメシアン生誕100年。そのためか、あちこちのオケでメシアンの曲が演奏されている。N響も前公演で『キリストの昇天』を、4月には代表作『トゥランガリア交響曲』を演奏する。さて、初めて聴く『忘れられたささげもの』だが、非常に落ち着いた流れの曲でタイトルの通り「忘れられた」感じという忘却感、望郷感を漂わせてくれる。『トゥランガリア交響曲』ほどのドラマチックさはないにしろ、ひとときの瞑想の時間を与えてくれる心地よい曲だった。 2曲目はマーラー。私が不得手なマーラーである。食わず嫌いというところもあるのかもしれない。この曲もCDでは聴いているが、オケで聴くのは初めてである。 今回のN響の布陣は大編成。次記の人数が正しいかどうかわかりませんが、第1ヴァイオリンは堀・酒井ほか全18人、第2ヴァイオリンは永峰&大林ほか全18人、ヴィオラは店村&佐々木ほか全16人、チェロは藤森&桑田ほか全14人、コントラバスは吉田ほか全12人、オーボエは茂木ほか全4人、フルートは甲斐ほか4人、ピッコロは菅原、クラリネット横川ほか全5人、ファゴットは水谷ほか全4人、ホルンは全5人(トップは日高?)、トランペットは関山ほか全3人、トロンボーンは新田ほか全3人、チューバは池田、打楽器はティンパニー久保ほか全6人、ハープは早川ほか全2人。 さて、演奏であるが、チョン・ミョンフンの指揮は非常に懇切丁寧でオケを煽ることもほとんどなく、大編成だからといって大音響による迫力を狙ってなく、統一感を強調している。特に第3楽章と第4楽章の出だしの弦楽器の太く重く深みのある演奏はなかなか聴けるものではないなと、唸らざるをえなかった。しかし、弦と木管や金管のアンサンブルはところどころでズレているというか、拡散をしている感じもした。 そして、この曲を聴くうちに私がなぜマーラーと相性がよくないかがどことなく解るようになってくる。マーラーは曲のなかに自分のアイデンティと共に信仰心を重ね合わせているのではないだろうかと思えてくる。それは希望も絶望も、生も死も、セックスも不能も、アグレッシブもデカタンスといった相反する言葉となり、二重的複合性の音となって現れてくる。そして、その背景にどことなく彼の信仰心が見え隠れするのである。私はこうした宗教観に非常に疎く、また興味がまったくない。それゆえに、こうした音楽が受け入れられないのだろうなと、思うようになってきた。 終演後、最前列の人々(当日券のチョン・ミョンフン応援団と思われる)はスタンディング・オベーションをして、ブラボーの声があちこちから聞こえる。しかし、2階席では足早に帰る人々が普段よりも多く、宗教観と共に国民性を考えさせられる思いがした。
ノリントンとノンヴィブラート奏法 演目(※はアンコール曲) 1曲目。管楽器の響きが非常に気持ちよくいい出だし。次への期待感を膨らませてくれる。 2曲目はちょっと変わった配置。舞台中央に蓋を外されたピアノの一台。椅子はセンター席にあるので、小菅優はセンターに背を向けて弾くことになり、弾き振りでもするのかと思わせる。後ろには木管金管およびコントラバスが、上手〔右手)には観客に半分背を向けるように第二ヴァイオリンとヴィオラが、下手(左手)には同様に第一ヴァイオリンとチェロが配置される。ノリントンはピアノの左手後ろ側で少し高めの椅子に座って指揮をする。どことなく室内楽風の趣きである。 さて、小菅優の演奏なのだが、中低音部の響きは繊細で力強さもあり、それはバラ色の花びらが舞うようなとても刺激的な音色で好感がもてるのだが、しかしながら高音部になるとその花びらが薄まっていくのである。なぜなのだろう。ピアノのせいだろうか、それとも配置のせいだろうか、それとも・・・。彼女の奏でる音色にはバラ色の花びらと共にトゲまで入っていて、突きささるような鋭さを感じはするのだが、残念ながらいまひとつ堪能することはできなかった・・・。 3曲目。ヴァイオリンは両翼配置。コントラバスは木管・金管の後に位置され、ティンパニーは上手後方と少し変わっている(1曲目はこれとほぼ同じ)。ブラ1は私の好きな曲のひとつであるが、これほど無味乾燥とした演奏を聴いたのは初めてである。出だしから、あのブラームスの重厚感は全くなく、さりげなく軽いタッチである。もちろん、その演奏レベルは高い。しかし、ノンヴィブラート奏法の弦はやはりあっさりしすぎていて、胸に迫ってくるものがない。加えて、ティンパニーの張りがきついようで、固い音が耳障りにも感じてくる。 ブラ1はオーボエとフルートが全体を通して活躍する曲であるが、ミーハーな私はこの曲の最大のキーポイントはホルンだと思っている。ホルンの善し悪しでこの曲は左右される。で、そのホルンがいただけない。第2楽章の第1ヴァイオリン(とっても美人のコンミス)と首席ホルンの掛け合うところなど、ホルンの音色がヴィブラートしていて音が割れているのである。これには少々呆れてしまった。また、第4楽章のクライマックスでのホルンの響きも、これがドイツの一流オケの音なのと疑わざるをえなかった。ブラ1は千秋真一の指揮ですら感動するのに、今回はまったく感動しない。こんなことをは初めてである。 終演後、時刻は9時30分近くになっているのもかかわらず、ミューザ川崎のお客さんは昨年の東芝グランドコンサート(フィンランド放送交響楽団)同様に、楽団員全員が舞台を去るまで拍手をしていた。それに呼応するかのようにノリントンも最後に袖より感謝の礼をしていた。N響定期会員に見せたい光景であった。
川畠成道&東響+シズオ・Z・クワハラ シズオ・Z・クワハラは1976年東京都生まれ、三重県四日市育ち。10歳で渡米した後、アメリカで音楽の勉強を行い、2002年にヴァージニア交響楽団のアシスタント・コンダクターに就任。2004〜2007年は正指揮者として活動。その間にフィラデルフィア管弦楽団の特別研究員に就任、同管弦楽団公演でも指揮を行う。2006年にはゲオルグ・ショルティ国際指揮者コンクールで準優勝。国内ではこれまでに名古屋フィル、アンサンブル金沢と共演。2008年からは活動の拠点を日本とヨーロッパに移し、今後はアンサンブル金沢、大阪センチュリー響、名古屋フィル、日本フィル、ポーランド室内管弦楽団、フランクフルト放送交響楽団の指揮をする予定。期待の若手日本人指揮者であり、ちょっと爽やか系のイケメン。 シズオ・Z・クワハラオフィシャルサイト 川畠成道は幼少時に視覚障害を負ったことにより、10歳の時にヴァイオリンを手にしたが、3年後の1984年には第38回全日本学生音楽コンクール東京大会中学生の部第3位。その後桐朋女子高等学校音楽科に進学して江藤俊哉に師事する。桐朋学園大学音楽学部卒業後は江藤俊哉のすすめで、英国王立音楽院大学院へ留学。1996年英国王立音楽院協奏曲コンクールで第1位を受賞。1997年に史上2人目となる「スペシャル・アーティスト・ステータス」の称号を与えられて同大学院を首席で卒業。1998年に小林研一郎指揮日本フィルとの共演で日本デビュー。英国をベースに活躍するヴァイオリニスト。 川畠成道オフィシャルサイト 演目(※はアンコール曲) 1曲目。これまでに何度も「四季」を聴いてきているが、そのたびにこの曲はソリストによって印象が変わる曲だなあと思う。川畠成道は目が悪いこともあってか、足元をほとんど動かさず、ヴァイオリニストには珍しい不動直立で演奏する。しかし、膝や腰でテンポやリズムを計っているように見受けられた。彼が奏でるヴァイオリンの音色は、クリスタル感に充ちていて、研ぎ澄まされている。そしてその音色からは、春夏秋冬の温度的な季節感よりも、一瞬にしてイメージされる情景感が広がる。最近はダイナミックな女性ヴァオイリストばかりを聴いているせいか、不思議な新鮮さを感じた演奏だった。 2曲目。ラヴェルが自らのピアノ曲を管弦楽版にした曲。私は生で聴くのは今回が初めて。ここはオーボエ(池田肇)とフルート(甲藤さち)の音色が冴えまくり。この二人はこの東響の宝であり、ウリでもあると思う。もっとクローズアップしてもいいのではないだろうか。 3曲目。本日のお目当ての曲。プロコフィエフが「交響曲の父」ハイドンを意識して書いたと言われる曲。タイトルに古典交響曲とあるが、全体を通して軽快にしてリズミカルな曲で、古典交響曲というよりは、古典狂騒曲もしくは行進曲といった感じである。 第1楽章。強弱をはっきりつけながらアップテンポな旋律がどんどんと流れていく。それは少し慌ただしくせき立てられるような旋律のだが、それを指揮のシズオ・Z・クワハラは身体を前後左右に伸びやかに動かしながら、オケを導いていく。ここでも甲藤のフルートの心地よい金色の音色がミューザ川崎のホールにこだまする。またファゴットと弦の掛けあいも絶妙で、座っている私の身体も左右に揺れてしまう。そして、この楽章のフィニッシュのキレ味が圧巻で、私の周囲の客は何人も思わず息を飲み込んでいた。 第2楽章。弦楽器のピッツィカートとファゴットの調和から、ヴァイオリンを中心とした弦ののびやかな旋律を奏でるが、これが例えが悪いが初めて穿く下着のようなフィット感に似た引き締まった音色でびっくりした。 第3楽章。ここはガボット。ここでも強弱をはっきりつけながら旋律は流れていくが、終局部分はフェイドアウトしていく。 第4楽章。まるで昆虫たちが大地を走りまわるかのような爽快な旋律が駆けめぐる。弦も木管も金管も完全にオケが一体化していて、弾けるように終わる。ワンダブル! 東京交響楽団を聴くのは半年ぶりだったが、半年前のオケとは全然違うオケを聴いているようであった。弦が若々しく躍動感にあふれた音色を奏でる。甲藤さちを中心とした木管や金管の音色もその色彩感がパステルカラーなのである。こうした音色を引き出したシズオ・Z・クワハラは只者ではないかもしれない。1月のN響を指揮したロッセン・ミラノフと同じようにフィラデルフィア管弦楽団育ちは何か違うものがあるようだ。これは私が単にフィラ管好きだから書いているのではない。今後の東響の活躍が楽しみであると同時に、私にとっては5月のフィラ管公演が待ち遠しい。
シベリウスと吉松隆の名曲 井上道義は1946年東京生まれ。桐朋学園大学で齋藤秀雄に師事。1971年にミラノ・スカラ座主催グィド・カンテルリ指揮者コンクールに優勝。 1972年にはセルジュ・チェリビダッケ主催の講習会で1位になる。しかし、指揮者デビューはそれから4年後になり、日本フィルハーモニー定期演奏会で日本デビューを飾った。昨年1月より岩城宏之の跡を継いでオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督に就任した。 井上道義オフィシャルサイト その彼が「魂の師匠」と仰いでいるのがシベリウス。そして、シベリウスと言えば日本フィルの創設指揮者である渡邊暁雄であるから、井上道義&日本フィルの組み合わせは期待せざるをえなかった。 演目 1曲目。クラリネットに導かれて、弦がタッタターン、タタ♪ タッタターン、タタ♪という旋律が流れてくる。あとは完全にシベリウスの世界である。ちょっと寒々としながらも、雲の合間から日差しが射してくるような幻想的な風景が目の前に広がる。各楽章終了後、P席2列目にいた初老の淑女が井上に向けて、胸の前で音がでないように拍手をしていたが、井上もそれに応えるように頷いていたのが印象的だった。日本フィルが市民に支えられているオケであるということを象徴するようである。 2曲目。この曲は大変な名曲だと思う。吉松隆が1988年33歳のときに、日本フィルの委嘱で書いたもので、「空」「樹」「太陽」という3つの楽章から成り立っている。曲全体を通して、鳥のさえずりがするなのだが、それ以外にも大空に浮かぶ雲、森のなかの木漏れ日、這うように流れる風に揺れる草、遠くに見えそうな山々の頂きなどイメージがどんどん膨らむ。私の脳裡には自然と北軽井沢から浅間山を望む風景か、富士見町から八ケ岳を望む風景が浮かんできた。現代音楽というとやたら、頭で妙に考えるような曲が多いが、この曲は情景を美しく描きだし、聞き手は本能のままに曲のイメージを描ける。素晴らしい。 この曲を井上はまるで自分が鳥になったかのように、両手を翼のようにして指揮をする。ちゃめっ気もあり、魅せ方を知っている指揮者だ。最終楽章の「太陽」では鳥たちが森や空を乱舞するかのような飛び回りその泣き声が響きわたる。それは、シベリウスの音色にも通じるものがあり、今日のプログラム構成にピッタリであることがよくわかった。何度か聴いてみたい曲なので、機会があればCDを買ってみようかと思う。 演奏後、会場に来ていた吉松氏を舞台に上げた井上道義の顏は少し誇らしげであった。それだけ彼にとってこの曲は自信があるという証であろう。ワンダフル! 吉松隆オフィシャルサイト 3曲目。井上はパンフレットのなかで、シベリウスのなかでもっとも波長があうのは第6番と第7番だと語っているが、この曲に関してはもう彼の独壇場で、オケはそれに追いつくのが精一杯という感じだった。特にヴァイオリンはコンマスの扇谷泰朋はガンバっているのに全体にスムーズさがなくて少し残念だった。しかし、この曲を一番支えているヴィオラ陣の音色が艶やかで伸びがあり、日本フィルの新しい一面を見たような気がした。
グレイトなブロムシュテット&N響 クリスティアン・ゲルハーヘルは医学を学びながら、ミュンヘン国立音楽大学のオペラ科にも在籍。1998年に医学博士号を取得した後、歌手活動に専念するようになる。そして、同年にはカーネギーホールの室内楽ホールでソロ・デビューを飾る。その後は数多くの音楽祭に出演、またベルリン・フィル、ウィーン・フィルをはじめ世界の名だたるオーケストラと共演している若手バリトンのホープであり、今世紀を代表するバリトンへの道を確実に歩んでいる超逸材といわれている。 演目 舞台には譜面台はあれど指揮台がない。ブロムシュテットは少し斜に構えて独唱のゲルハーヘルと同じ高さでオケに向って指揮をする。というよりも、独唱も指揮もオケも一緒になって演奏という試みのようである。 『さすらす若者の歌』は上記のように4曲の歌によって構成されている。公演パンフレットによると、この歌は「ある遍歴学生の歌」といってもいいようで、恋に破れた学生の心情を吐露した展開になっているようだ。私は学生時代に英語・スペイン語・フランス語を学んだがドイツ語は全くなので、ゲルハーヘルの歌声を聴いてもチンプカンプである。こういうとき、あ〜、学生時代にドイツ語やイタリア語も勉強しておけばよかったと悔やまれてならない。 ゲルハーヘルの歌声は気品高くハリがあり本当に素晴らしい。バリトンといっても低いだけのバリトンではなく、高音のしなやかな伸びが魅力的な声の持ち主である。膝を曲げたり、両手を左右に動かしたり、顔を少し振りながら、テンポとリズムを掴みながら全身から発せられる歌声は表現力もあり、情感に満ちあふれている。全体で20分弱の曲なのだが、もう少し甘美な歌声を聴いていたかった。 休憩を挟んで、メインイベントはシューベルトが書いた最後の交響曲「ザ・グレイト」。今度は指揮台も譜面台がある。しかし、譜面台には譜面はなく、メモ書きみたいなものが置かれているだけである。 今回のN響の布陣は第1ヴァイオリンは堀・大宮・酒井・田中ほか全15人、第2ヴァイオリンは山口&白井ほか全16人、ヴィオラは店村&佐々木ほか全12人、チェロは藤森&藤村ほか全10人、コントラバスは西田ほか全8人、オーボエは茂木&和久井、フルートは甲斐&細川、クラリネットは磯部&山根、ファゴットは岡崎&菅原、ホルン松崎・勝俣・樋口・中島、トランペット関山&佛坂、トロンボーン新田・吉川・客演、ティンパニー植松といったメンバーであった。なお、1曲目のマーラーではハープに早川、打楽器に植松&竹島らが加わっている。 第1楽章。この曲の主題である旋律がホルン(松崎裕)の出だしで始まる。これがふくよかにして艶のあるなんと言えない音色。ここで、この曲は凄いかもれないという予感が奔る。同じ旋律を木管群がなぞっていくが、この音色もおおらかにしてテンポよく繰り返される。ブロムシュテットのキビキビした動きにオケの気持ちが伝わっている。終わりのころに第1ヴァイオリンの弦が切れるアクシデントがあったが、代わりのヴァイオリンの受け渡しも非常にスムーズで、最後までテンションは切れることなく大胆にして迫力のある演奏だった。思わず拍手したいくらいであった。 第2楽章。オーボエ(茂木大輔)のソロが黄金色のような鮮やか音色となってホールに響き渡る。そしてフルート(甲斐雅之)との掛け合いも冴えまくる。加えて、クラリネットとファゴットも調和していく。それを弦が細やかな音色で支えていく。この木管の連携は今回のハイライトだったかもしれない。目を瞑って聴いていると、それは悪い表現かもしれないが、もう日本のオケの音に聴こえなかった。荘厳な音色な部分はドイツのオケでもあるかのようであり、軽やかな部分はアメリカのオケのようにも聴こえた。それとも、これがブロムシュテットの音なのか、最近確立されつつあるN響の新しいサウンドなのだろうか。 第3楽章。ここはスケルツォ。この曲でもっと自由奔放というか天衣無縫な感じのする楽章である。全体を通して弦の少し囃し立てるような旋律が下支えになって、心をうきうきさせてくれる。ここではフルートなどの木管に加えて、金管の優雅にしてきらびやかな音色もホール内をまるでボヘミアンかジプシーのように彷徨する。統一感を失わずオケのメンバーが楽しく自由自在に演奏している感じであった。 第4楽章。いきなり壮大なフィナーレを予告するかのような勢いでスタートする。ホルンと木管によって始まる特徴ある旋律が何度も繰り返されていく。途中にはベートーヴェンの第九の主題を引用された旋律も流れてきて、そのちゃめっ気に嬉しくなってしまう。しかし、楽章の最後が近づくにつれて、なぜか「のだめ」の千秋先輩ではないが「ブロムシュテットの音をもっと聴いていたい。これで彼の音はしばらく聴けなくなるのか」と思うと目頭が熱くなってきた。そして、クライマックスには弦全体が地響きのように突き上げる低音が腹に伝わってくる。ああ、終わってしまうのかと・・・。 ブラボーの嵐だった。 ブロムシュテットはまず松崎をはじめとしたホルン4人を立たせ、次に木管の茂木、甲斐、磯部、岡崎と首席ソリストたちと握手。そして、トロンボーンとトランペットの全員、ティンパニーの久保へも感謝の拍手をしていた。もちろん、観客はブロムシュテットへ最大級の拍手をおくっていた。これまで聴いたN響のサントリーホール公演であれほど大きい拍手は聞いたことはかつてない。ブロムシュテットの人気のほどがわかるというか、ブロムシュテットがN響の良き理解者であるということを、観客が知っているからだろうか。 素晴らしい演奏会だった。最後は完全に興奮していた。ちょっと我を忘れていた。まさにザ・グレイトな夜であった。そして、ブロムシュテットには来年も是非日本に来ていただきたい。
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