| クラシック音楽鑑賞記録(2008年3月〜5月) |
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2008/05/24(土) サントリーホール 五嶋みどり&フィラデルフィア管弦楽団 2008/05/22(木) サントリーホール N響のショスタコーヴィチ交響曲第5番 2008/05/16(金) NHKホール 尾高忠明、粉骨砕身の名指揮 2008/05/14(土) サントリーホール 若さと老練がマッチした都響 2008/04/26(土) サントリーホール 日本フィルのオール・おフランス 2008/04/24(金) サントリーホール ニコライ・アレクセーエフ&新日本フィル 2008/04/17(木) サントリーホール ドビュッシー&バルトーク&サン・サーンス 2008/04/14(月) サントリーホール ケント・ナガノ&モントリオール交響楽団 2008/04/11(金) NHKホール メシアンのトゥランガリラ交響曲 2008/03/13(木) サントリーホール ヒラリー・ハーンとBBCフィルハーモニック 2008/03/08(土) サントリーホール 黒川正三と東京フィル定期演奏会 2008/03/02(日) オーチャードホール 誕生祝いでN響オーチャード定期へ |
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CONTENTS
五嶋みどり&フィラデルフィア管弦楽団 昨日(24日)、サントリーホールでのフィラデルフィア管弦楽団コンサートを聴きに行ってきた。指揮はクリストフ・エッシェンバッハ。ヴァイオリンは五嶋みどり。私がめちゃくちゃ高いお金を払って「カジモト・ワールド・シリーズ」のチケットを買ったのは、この公演を聴きに行きたいがためであったといっても過言ではない。この日の公演チケットは完売。 フィラデルフィア管弦楽団は1900年創立。アメリカ5大オーケストラのひとつ。フィラ管は創立して100年以上になるが、その間の音楽監督在任者はたった7名。なかでも、レオポルド・ストコフスキーが1912年から1941年まで、重なるようようにユージン・オーマンディが1936年から 1980年までと長期で務め、この二人によって今日の“フィラ管サウンド”は築かれた。その後も今や帝王とも呼ばれるリッカルド・ムーティが1980年から1992年まで、N響の桂冠名誉指揮者でもあるヴォルフガング・サヴァリッシュが1993年から2003年まで。そして、現在はクリストフ・エッシェンバッハが受け継いでいる。 五嶋みどりは1971年大阪生まれ。彼女は日本を代表するというよりアメリカを代表するヴァイオリニスト。アメリカのクラシック・ファンで「Midori」の名を知らない人はいないぐらい有名である。使用ヴァイオリンは1734年製グァルネリ・デル・ジェス“エクス・フーベルマン”。 演目(※アンコール曲) 1曲目。私は90年代前半にニューヨークで五嶋みどりのパガニーニ(だったと思う)を聴いたことあるが、そのときの彼女は弦が切れそうになるぐらいダイナミックな男性的な演奏だった。しかし、あれから10数年近くの月日が流れた。今回の彼女は低音は男性的に、高音は女性的にと両性具有の堕天使(または天使)の如く、ヴァオイリンの音色は変幻自在だった。その音色と共に凄いと思ったのが、オケである。 短い序奏のあとに、五嶋の奏でる情感こもった音色が場内に響きわたる。一瞬にして緊張感というい名の糸が、クモの巣のようにホール全体を覆う。誰もが息を呑んで、彼女の音色に聴き惚れる。その緊張感を徐々にほぐすかのように、チェロやコントラバスが優しくピチカートする。何?、この心臓音にも近いようなピチカートは。そして、ティンパニーももちろん木管も金管も五嶋のヴァイオリンを包み込むかのような柔和な音色を奏でていく。この協奏曲でこんなバックのオケの音を聴いたことがない。五嶋みどりの地の底から這い上がってくる魂の籠った音もオケと見事に調和している。誰もが陶酔に浸っていた。 第1楽章が終わったあと、私の後に座っているカップルの女性が思わず「すごい〜」と口走った。そして、第3楽章が終わったあと、今度は男性が「すげぇ〜」と言っていた。二人にとって生涯忘れられない演奏であったに違いない。 20分間の休憩(笑) 2曲目。80年代後半にカーネギーホールで初めてフィラデルフィア管弦楽団を聴いたときの衝撃は今でも忘れない。それはクラシック音楽というよりもポップスを聴いているかのようであり、チャイコフスキー交響曲第4番が軽快にして荘厳な音色だった。音がぐるぐる回転して流れてくるような感じなのである。後になって「フィラデルフィア・サウンド」という言葉を知った。 この日のオケの配置はヴァイオリンを左右にする古典的な対抗配置。そして、コントラバスが下手(左側)に、ピアノとハープが上手(右側)に置かれている。この曲としては少し下手側に比重が強いのではないかと思われる感じがした。しかし、これにはちょっとしたトリックが隠されているようにも思った。 第1楽章。出だし、チェロがゆったりと音を奏でる。第1ヴァイオリンの音色もどことなく重々しい。オケ配置のせいか、音がやはり下手側に集中してしまう。しかし、上手側のピアノとトロンボーンが登場するあたりから、それまでの気怠さ感に満ちていた空気が徐々に吹き飛ばされていき、フィラ管ならではの軽快にしてドライブする悦楽のサウンドがこだましてくる。それはロシア的な統率のとれた音色ではなく、アメリカ的な自由を謳歌するような音色である。 第2楽章。フィラ管のホルン陣は5人のうち3人が女性。チューバも女性。その女性たちがホール外まで響くようにホルンを奏でる。このころになると、第1楽章では少し弱めだった上手側の第2ヴァイオリンとヴィオラの音色が力強くなり、全体のバランスもよくなってくる。マリンバをはじめとした打楽器陣もテンポよく弦をサポートしていく。 第3楽章。ここでオケ配置のトリックが明かされる。上手ヴィオラが薄明かりの部屋に閉じこめられているかのような雰囲気の叙情的な旋律を見事に奏でる。それから、徐々に8つのパートに分かれた弦の美しいハーモニーがグラデーションのように重なっていく。フィラ管というと木管や金管が評判になるオケだが、以前より数多くいるアジア系女性陣が目立つ弦も、しっとりした情感にみちた音色を聴かせてくれる。 第4楽章。エッシェンバッハは第3楽章からなだれ込むかのように演奏をはじめる。金管と打楽器がホールの壁を打ちくだくのではないかと思うぐらい力強い音を轟かせる。今度は統一性のある弦がテンポを早めながら軽快にドライブしていく。これこそがフィラ管サウンドの真髄である。そして、終曲部の弦の “二音”は苦悩から解放されたように、あくまでも鮮明かつ華やかに弾かれていく。それを金管と打楽器が誇らしげに高めていく大団円となる。ブラボー! アンコールのワーグナーが圧巻だった。あんなに見事に揃った凄いトロンボーンとチューバの音色は聴いたことがない。度肝を抜かれた感じである。 終演後、五嶋みどりとエッシェンバッハがそれぞれサイン会を行うということで、ロビーはもう大変な人だかり。こんな終演後のロビーを見たのは初めてであった。
N響のショスタコーヴィチ交響曲第5番 昨日(22日)、サントリーホールでのNHK交響楽団の第1621回定期公演に行ってきた。指揮はイオン・マリン。チェロはアントニオ・メネゼス。 イオン・マリンはルーマニア出身。ウィーン国立歌劇場の常任指揮者を皮切りにオペラ指揮者として、世界の主要な歌劇場で指揮をしている。またシンフォニー指揮者としても、ロンドン交響楽団を皮切りに、ヨーロッパの有名オーケストラの指揮を行っている。 アントニオ・メネゼスは1957年ブラジル生まれ。1977年ミュンヘン、1982年チャイコフスキーの両国際コンクールで優勝するなど輝かしい経歴をもつ。ベルリン・フィルをはじめ世界の主要オーケストラと共演を重ね、共演した指揮者もカラヤン、ロストロポーヴィチ、ムーティなど錚々たる名前が並ぶ。 演目(※アンコール曲) 1曲目。イオン・マリンはオペラの指揮者として有名である。でも、この序曲でのN響とのバランスは非常に悪い。これはオケの方にも問題があるのかもしれないが、マリンの少しテンポをずらすかのような肩の動きと手の振りが、遠目にもわかるのである。これに惑わされたかどうかわからないが、弦全体のアンサンブルが非常に悪い。どうしちゃったの、と思わざるをえなかった。 2曲目。チェロ協奏曲の名曲のひとつであり、難曲のでもある。というのも、この曲はチェロのソロを主体にした協奏曲という感じではなく、オケと一緒になって奏でるといった交響曲的な作品だからだ。アントニオ・メネゼスは冒頭から、湿気を帯びたくすんだ音色で、この曲のもつ重々しく悲しみのある旋律を奏でていく。そして、ヴィオラや木管がその悲しみを優しく包むかのように、ゆったりとした時空を奏でていく。それは雲に覆われているイギリスの田園風景でもあり、エルガー自身の創作へ対する悲痛な思いを表わしているかのようでもある。ただ、全体の演奏はやはり難曲であるがゆえに、チェロ、指揮、オケがうまく溶け込んでいたとは思えなかった。 3曲目。本日のお目当て。ショスタコーヴィチの数多くある交響曲のなかでも最高傑作といわれている作品。 第1楽章。冒頭、木越洋率いるチョロ陣が見事に調和された重音を弾く。ツカミはOKだ。それに導かれるようにヴァイオリンの少しヒステリックな音も重なっていき、「これ、これ、これがショスタコの5番ですよ」という音色を奏でていく。1曲目や2曲目では少し裏目に出ていたイオン・マリンの少々大袈裟なドラマチックな指揮ぶりも、ここではうまく真価が発揮されている。木管や金管の音色も冴え渡り、特にトロンボーン(栗田雅勝ほか)とチューバ(池田幸広)の重低音が厚みと深みを加えていた。 第2楽章。ここでもチェロ陣が見事な出だし。そして、日高剛がトップを務めるホルン陣の高らかな音色もサントリーホールに聡明に響いていく。そして、コンマス堀正文のしなやかにしてなめらかな弦の響きもいい。ここでもマリンのオペラ音楽で得たであろうドラマチックな指揮が、曲を荘厳な世界へ導いていった。 第3楽章。弦を8つに分けて演奏する珍しい楽章。この弦にサポートされながらフルート甲斐雅之、クラリネット磯部周平などの木管陣がそれぞれふくよかな音色を醸し出す。そして、終盤にはチョロとコントラバスの低弦が大きく、太く、厚く、そして地に根をはった音を出して引き締める。 第4楽章。軽快にして踊り出しそうなかなり早いテンポの出だし。ここでもマリンの指揮にオケがうまくついていき、オケは統一性のある纏わりのある音を奏でる。そして、弦が“二音”の音色に向っていく。最後の最後はもはやN響には珍しく騒音にも近いような大音響と“二音”が奏でられる。そんなかでも、私の耳にはデジタル分解のようにあちこちからいろいろな音が聞こえてくる。ピアノ、ハープ、トライアングルなどの弱音も綺麗に聴こえてくる。これはサントリーホールだから解るのであって、NHKホールじゃ無理だろう。 終演後、花束をもらったイオン・マリンの顏は紅潮していて満足感に溢れていた。名演奏とまで言えないかもしれないが、期待にそぐわぬ好演奏であった。 さあ、明日はフィラデルフィア管弦楽団によるショスタコーヴィチの第5番である。場所も同じサントリーホール、席もほとんど変わらない。期待はしない。(笑)
尾高忠明、粉骨砕身の名指揮 昨日(16日)、NHKホールでのNHK交響楽団の第1620回定期公演に行ってきた。指揮は尾高忠明。ピアノはベートーヴェンのスペシャリストとして名高いブルーノ・レオナルド・ゲルバー。彼はアルゼンチン生まれで、この5月19日で67歳を迎える。私が好きなピアニストのひとりである。 演目 1曲目。長い序奏のあとに、ゲルバーが鍵盤を叩くと、ピアノの唸る音が響く。ピアノ線が震えている音まで聴こえてくる。一瞬にして場内に緊張感が走る。たった数小節で彼はNHKホールの客を虜にした。 彼の奏でるベートーヴェンは明らかに他のピアニストが弾くベートーヴェンとは違う。その音色に煌びやかさとか華麗さを感じない。しかし、音色そのものに喜怒哀楽の感情が含まれていて、人間の歌声のような有機性がある。このような音色を奏でられるのは、おそらく作曲者であるベートーヴェンとゲルバーだけでないだろうか。 ゲルバーは決してテクニシャンではない。しかし、豊かに富んだ自由な演奏は、聴く者の心にじわりと沁み込んでくる。主旋律を弾くときは控え目にオケと協調し、カンデンツァではベートーヴェンに成り代わるかのように、ベートーヴェンが目指していたピアノ曲の革新性を歌いあげていく。目を閉じてると、あの長い髪の肖像画が浮かんでくるほどであった。やはりゲルハーの右に出るベートーヴェンのピアノ曲のスペシャリストはいない。 2曲目。尾高忠明の指揮はこれまで何度も見てきた。彼はどんな曲でもそつなく無難にこなす指揮者だが、凄いなぁと思ったことはこれまで一度もなかった。しかし、今日は違った。さすがにイギリス音楽を得意としているだけのことはある。 第1楽章。高貴にして気品ある主旋律が、初めはゆっくり叙情的に、そして徐々に勇壮的に奏でられていく。ああ、エルガーだぁ、と思う。ああ、イギリス的だなぁ、と思う。一転してイギリスの田園地帯を連想させるようなメロディが奏でられる。弦ののびやかな響き、クラリネット(客演)を中心とした、起伏に富んだ木管や金管のきらびやかな音色も冴え渡る。ゆったりとして壮大な気持ちになっていく。最後は、神への祈りをするかのように穏やかなにフェイドアウトしていく。見事な構成の楽章だなぁと感心してしまう。 第2楽章。風をイメージした旋律と行進曲風の旋律が交錯するおもしろい楽章。指揮する方も演奏する方も大変ではないだろうか。それでも、尾高は各パートを指示しながらも、おおらかにそして滑らかに身体を動かしてオケを掌握している。 第3楽章。アダージョ。ゆっくりした旋律は眠りを誘う。私の前の席の老夫婦は二人とも完全に首がうな垂れている。私の眼までも瞼がゆっくりと閉じていきそうである。この曲の初演を指揮したハンス・リヒター(エルガーの友人)は「ベートーヴェンの創り出した緩徐楽章のようだ」と評したが、こんな子守歌のようなアダージョの楽章はベートーヴェンは創るとは思えない。 第4楽章。ブラームスを思わせるかのような重厚な出だし。次第に第1楽章の主題があちらこちらから聴こえてきて、クライマックスへと向っていく。それを誘う堀正文率いるヴァイオリン陣の変幻自在の音色が美しい。N響ならではの優美にして統率力のある音色だ。これに呼応するかのようにホルンをはじめとした金管も崇高な響きを轟かせていく。見事に調和された美しい音色と大胆にして繊細なオーケストレーション。これこそがエルガーであり、オーケストラの醍醐味である。決してこの曲は「ブラームスの第5番」ではなく、「エルガーの第1番」である。 尾高忠明、粉骨砕身の名指揮だった。ブラボー! 来年5月15日(金)と16日(土)に尾高はN響とエルガーのチェロ協奏曲と交響曲第2番の演奏を予定している。できれば「威風堂々」の第1番も演奏してもらいたい。
若さと老練がマッチした都響 昨日(14日)サントリーホールでの東京都交響楽団の第662回定期演奏会に行ってきた。指揮は1981年生まれのヤクブ・フルシャ。彼は弱冠26〜27 才という若手にもかかわらず、2005年からプラハ・フィルの首席指揮者に就任しているなど、その手腕は高く評価されている。チェロは1977年イスラエル生まれのガブリエル・リプキン。この人も若手の有望株。使用楽器はアロシウス・ガラーニ(1702年ボローニャ)。 演目(※アンコール曲) このコンサートへ行く予定はなかった。ただ「ゴールデン・ウィーク疲れを解消するかぁ」という軽い気持ちで行ったのだが、これがちょっとした感動的な拾い物で、大いに疲れを解消させてもらった。少々年寄じみた言い方になるが、若い才能のある人たちの水々しい演奏を聴くとワクワクさせられて楽しくなるものだ。 1曲目。ヤクブ・フルシャはまずは譜面台を置かず、まるで自分自身がウォーミングアップするかのように、身体を左右に大きく振ったり、時にはジャンプまがいの大きな伸びをしたりと、大袈裟だが自らを鼓舞するかのように指揮を行う。それに都響のメンバーは面食らったわけではないだろうが、木管も金管がうまくついていけない。 2曲目。第1楽章はショスタコーヴィチらしくなく、非常に明快で親しみやすい主題の旋律で始まる。それをガブリエル・リプキンはスペインの舞踏家のように情熱的に弾いていく。オケの金管はホルン1本だけという変則的な編成なのだが、そのホルン(笠松長久)のフォローする音色が素晴らしい。特に第2楽章ではチェロの若さとホルンの老練した掛け合いに惚れ惚れしてしまう。そして、第3楽章のカンデンツァではリプキンは水をえた魚のように、自らのテクニックをチェロにぶつけていく。そして、最終楽章ではチェロはオケと対峙するかのように競演していき、最後に第1楽章で奏でた旋律をリプキンはオケと共に思いっきり歌いあげて終える。 彼は相当のテクニックの持ち主であることがよくわかる演奏だった。しかし、アンコールを3曲もやるのはサービス過剰というか、この演奏会は彼のリサイタルではないのだから、少し自制するべきであろう。でも、デュポールのエチュードは素晴らしかった。 3曲目。これを聴きたいがために、ブラッと来たようなものである。昨年のNHK音楽祭では、ゲルギエフ&マリインスキーの大音量演奏に耳鳴りをさせられるほど辟易させられたが、ヤクブ・フルシャはこのバレエの名曲をエレガントに奏であげていく。それは彼がまるでオーケストラ・ボックスのなかで指揮をしているかのようであり、バレエを見事にイメージしながらタクトを振っている。そのせいかどうか解らないが、舞台上にはまるで何人かのバレリーナが舞っているように見えてくる。 ここでも、笠松長久を首席としたホルン陣が強弱を活かした音色を醸し出し、オケ全体を盛り上げていく。それに呼応するかのように、弦もバレエ音楽ならではの滑らかな音を奏でていく。なかでもヴィオラ陣の響きは艶やかで、首席(鈴木学?)のソロもヴィオラ特有の力強さと華麗さが融合していて特筆ものだった。 ヤクブ・フルシャはまだ若い。凄いインパクトを与える指揮者ではないかもしれないが、真摯な姿勢で情感豊かにオケを導いていく姿にはとても好感がもてた。都響との相性も良さそうなので、今後も指揮台に立つのではないだろうか。そのときには、チャイコフスキーやストラヴィンスキーなどのバレエ音楽を再び振ってもらいたい。 結構満足した演奏会だったので、地元での酒も美味であった。ブラボー!
日本フィルのオール・おフランス 昨日(26日)、サントリーホールでの日本フィルハーモニー交響楽団の第599回定期公演を聴きに行ってきた。指揮は東京交響楽団や山形交響楽団での活躍している飯森範親。プログラムはなかなかコンサートでは演奏されない曲が多いオール・おフランス。 演目 冒頭から申し訳ないが、ド素人にしてミーハーな私が言うのもなんだが、今回の日本フィルのコンサートには失望した。それも、かなりである。私は貧乏オケと言われる日本フィルを応援している。コンサート回数もN響の次に行く回数が多い。しかしである。このコンサートだけは文句を言わせていただきたい。これまで何人もの指揮者と日本フィルの公演を聴いてきたが、今回ほど指揮者とオケの相性がチグハグなのは初めてである。 1曲目。出足のツカミからいただけなかった。この曲は1923年時のフランスの機関車「パシフィック」からとったタイトルで、その音楽も機関車が軋むような音を奏でていく曲である。プログラム最初の曲ということで、華々しく演奏したかったのであろうが、それは完全に裏目に出てしまい、けたたましい音色にしか聴こえてこない。飯森範親とオケはまったくマッチしておらず、音がバラバラに聴こえてくるのである。このような曲を演奏するならば、知られざるフランス・オペラの序曲でも聴きたかった。 2曲目。第2次世界大戦でのフランス解放を描いた曲で、良くも悪くもフランスらしさを描いている。陰陽と緩急を単純に組み合わせている曲だが、ここでも飯森の指揮は単調で、オケに対しての抑揚のつけ方が非常に甘い。この曲はおそらくもっとノリノリで、フランス人ならば全身をつかって喜びそうな楽しい曲なはずである。いつの日かもう一度聴いてみたい。 3曲目。今回の私のお目当てはこれ。イベールの代表作であり、人づてに名曲だから聴いておいた方がいいよと言われていたので、この機会を逃したくなかった。確かに名曲だと思う。曲のあちらこちに、スペインやイタリアの民俗音楽がちりばめられていて、地中海の青々とした光景を描いている。そして、真田伊都子のオーボエや福川伸陽のホルンなどオケの個々からは素晴らしい音色が聞こえてくる。しかし、ここでも物足りない。なんか弦の音が波打つ感じではなく、分解されているような感じなのである。この曲もいつの日かもう一度聴いてみたい。 4曲目。後半の最初はラヴェル。この曲はラヴェルの名曲「ラ・ヴァルス」に非常に似ていて、そのオーケストレーションの妙は素晴らしい。しかし、ここでも飯森とオケはまったく一体化しておらず、その音色は無機質で坦々と流れていくだけ。胸打つものが全然感じられない。このとこは私ばかりだけではないようで、後ろのおばさん連れは「今日は外れみたいね」などとすでにサジをなげていた。 5曲目。さすがにこの曲だけは外さなかった。それでも、私の前に浮かんだ海の光景は太平洋の沖縄でも大西洋のキーウエストでもなく、瀬戸内海の鞆ノ浦という感じで、そのスケールは残念ながら小さかった。それでも、この曲だけは客席からのそれまでの曲とは比較にならないほどの大きな拍手が湧き起こっていた。ただ、その拍手にはそれまでのフラストレーションとアイロニーも含まれているようでならなかった。 最初にも書いたように、私は日本フィルを応援している。コバケンやラザレフがいたり、木管・金管に素晴らしいソリストがいる。他のオケに比べて財政的にも苦労しているようだが、若手演奏家を器用したり面白いプログラムで頑張っている。5月の演奏会に行く予定はないが、6月の2つの演奏会のチケットもすでに持っている。しかし、昨日のような演奏会は勘弁である。お客さんの入りの悪いのは仕方がないにしても、あの醒め切った拍手の意味を事務局の人々は理解していただきたいと思う。
ニコライ・アレクセーエフ&新日本フィル 昨日(24日)、サントリーホールでの新日本フィルハーモニー交響楽団の第430回定期公演を聴きに行ってきた。指揮は新日本フィル2度目の登場といういロシアのニコライ・アレクセーエフ。チェロはすでに欧米で活躍中のアルバン・ゲルハルト(初来日?)。 演目(※アンコール曲) 何年かぶりの新日本フィルである。日本のオケのレベルが上がっていることは周知しているが、久しぶりに聴く新日本フィルの統率力ある演奏には正直驚きだった。なんか浦島太郎状態である。日本のオケのレベルは本当に高くなったと思う。古い話で恐縮だが、10数年前まではN響以外のオケは世界の足元にも遠く及ばないレベルだった。それが、今日ではその多くの日本のオケが世界と肩を並べるとまでは言えないが、充分に比較するに足りうる存在にまで成長しているのではないだろうか。 1曲目。シチェドリンが敬愛するショスタコーヴィチのために書いた作品。初めて聴く曲であるし、旋律はショスタコーヴィチのようでもあり、ショスタコーヴィチのようでもない感じであまり印象に残らなかった。 2曲目。チャイコフスキーの名曲である。私はチェロのことに関してはよくは解らないが、この曲は技術的にはさほど難曲ではないと思う。しかし、チャイコフスキーが求める情感を奏でるとことは難しいと思う。その曲を、アルバン・ゲルハルトは軽やかにして明快に奏でていく。チェロを包み込みように楽器と一体化した柔和の響きは、決して情熱的な音色ではないが彼自身のまごころや、作曲者チャイコフスキーに対する愛情が抱擁されている。それはお腹の底に響くというものではなく、ハートに優しく響き、心が洗われるような優しさをもっている。聴いているうちに、彼は世界でも指折りのチェリストなのではないだろうか思うような技術と力量をもっている、と思うようになったきた。おそらく、今回が初来日なので、日本のオーケストラは、すぐにでも彼と今後の出演交渉をすべきである。それほどの逸材だと思う。 3曲目。第1楽章「宮殿広場」 1月6日にN響を指揮したロッセン・ミラノフを聴いたときに、世界には知られざる有能な若手指揮者はいるのだなと思わされたが、今回のニコライ・アレクセーエフも将来を嘱望されている指揮者だと感じた。彼は現在、エストニア国立交響楽団の首席指揮者であり、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者としてヨーロッパで活躍している。その指揮ぶりは決して派手ではなく目立った動きをしないが、非常に統率力のあるオケの音を出すことを重点にしていて、自分は主役でなく黒衣的存在な指揮をする。底力のある指揮者である。 こうした彼の統率力あふれる指揮の下、新日本フィルの音色は冴えわたる。冒頭のハープから入り、終始一貫して眠たくなるような重い旋律の第一楽章を、抑揚をつけながらオケを引っ張っていく。そして、第2楽章では、ロシア革命の弾きがねにもなったという1905年1月9日の悲劇を大胆にかつ緻密に指揮していく。それに応えるかのように、トランペットやホルンの金管の音色、そして、銃撃を表わすピッコロの鋭い音が迫ってくる。 第3楽章はいわゆる鎮魂歌で厳かな旋律をコントラバスが低音で響かせる。そして、第4楽章では、民衆の力を鼓舞するかのように、弦も木管、金管も、そして打楽器も一体化して、統率力音色を轟かせていく。なかでも、ティンパニー(川瀬達也)のリーダーシップに満ちた音は素晴らしかった。彼の力強い音の響きがなくして、この大曲の成功はありえなかっただろう。ブラボー!。 観客の入りは残念ながら6〜7割と少し淋しかったが、私を含めて多くの観客がパッションあふれた演奏会に満足した思う。特にチェロのアルバン・ゲルハルトには、すぐにでも再来日してもらい、ショスタコーヴィチやドォヴォルザークなど有名なチェロ協奏曲の演奏を披露してもらいたい。また、ニコライ・アレクセーエフも再々度、新日本フィルと共演して、ショスタコーヴィチだけではなく、ロシアの素晴らしい作曲家の音楽を披露していただきたい。カリン二コフをやってくれないかなぁ・・・。
ドビュッシー&バルトーク&サン・サーンス 昨日(17日)、サントリーホールでのNHK交響楽団第1618回定期公演に行ってきた。指揮はN響初登場のエマニュエル・ヴィヨーム。ヴィオラはN響ヴィオラ首席奏者の店村眞積。オルガンは若手オルガン奏者のグレゴリー・ダゴスティーノ。 演目 1曲目。3日前にモントリオール交響楽団(OSM)で聴いたばかりの曲である。私はオーケストラの演奏を比較した感想をあまり書かないようにしているが、さすがに3日前に同じホールで、席もほとんど変わらないようなところ(2階センター10列は一緒で、席番が少しずれているだけ)なので、どうしても比較せざるをえない。OSMの首席フルート奏者の音色は芳醇なワインの香りがしたが、N響の神田寛明の音色は淡麗ながらもコクもキレもあるビールの香りがして、甲乙つけがたい演奏で、ゆったりとした気分でドビュッシーの柔らかみのある世界を堪能することができた。 2曲目。この曲はバルトークの遺作で、ヴィオラの独奏パートはほぼ完成していたが、バックのオーケストラのパートがほとんど未完成で、バルトークの助手を務めていたティボール・シェルイが4年かけて書いたそうである。そのせいかどうかわからないが、ヴァイオリン協奏曲に比べて、オケのパートはさほど民俗的色彩がなく、ちょっとバルトークらしくなく拍子抜けする。しかし、ヴィオラのカンデンツァはいかにもバルトークで、この難しい音階を店村眞積は見た目に簡単そうに飄々と弾いていく。しかし、その音色はヴィオラ特有の深みのある響きで、バルトークの耽美な世界を奏でていた。それにしても、店村のヴィオラがなんともキラキラと輝いていたことか。彼が弾くとバルトークもゴージャスに聴こえてくる。 3曲目。ヴィヨームの指揮はエレガントにして実に滑らか。そのために、弦楽器(特にヴァイオリン)の艶やかにして伸びのある響きが波状になってホールを包んでいく。そして、グレゴリー・ダゴスティーノの奏でるオルガンも時に優しく時に力強くこだましてく。目立たないが連弾のピアノの爽やかな音色もオルガンにうかく共鳴していく。これまでこの「オルガン付」を2回ほど聴いているが、これほど余裕のある輝きの演奏は初めてであった。気持ちにゆとりをもたせてくれる演奏だった。 今回のN響の布陣は第1ヴァイオリンは堀・田中、大宮、酒井ほか全16人、第2ヴァイオリンは永峰&白井ほか全14人、ヴィオラは佐々木 &井野邊ほか全12 人、チェロは木越&藤村ほか全10人、コントラバスは吉田ほか全8人、オーボエは青山&池田、イングリッシュホルンは和久井、フルートは神田&細川&菅原、クラリネットは客演&加藤&山根、ファゴットは岡崎&菅原&客演、ホルンは福川伸陽(日本フィル)&勝俣&今井&中島、トランペットは津堅&佛坂&井川、トロンボーンは栗田&池上&黒金、チューバは池田、打楽器は久保&植松&竹島。ピアノは客演2人。ハープは早川&客演。
ケント・ナガノ&モントリオール交響楽団 昨日(14日)、サントリーホールでのモントリオール交響楽団のコンサートを聴いてきた。指揮はケント・ナガノ。この公演は昨年下記の日記に書いた、梶本音楽事務所が招聘する「ワールド・オーケストラ・シリーズ2008-2009」の第1弾になる。 モントリオール交響楽団(略称OSM = Orchestre symphonique de Montr斬l)は1934年創立でカナダ最高峰の実力と人気を有するオーケストラ。1961年から1967年に在任したズビン・メータの下で名声を高め、1977年から2002年まで4半世紀にわたって在任したシャルル・デュトワのもとで、世界の名だたるオーケストラにまで成長した。そして、2006 年9月からケント・ナガノが音楽監督に就任している。 演目(※アンコール曲) プログラムの3曲は、楽園(田園)、海、アルプスとどれもが情景を描いた作品である。テーマは「自然」である。その3曲を、ケント・ナガノとモントリオール交響楽団は基本的に繊細かつ丁寧に、そして時に大胆にとうまく抑揚をつけながら演奏する。 1曲目。私は小学校5年から高校3年まで、独学(お遊びとも言う)でフルートを吹いていたので、この「牧神の午後への前奏曲」やラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」などフルートが活躍する曲が好きである。OSMの首席フルート奏者のおじさんの音色は、まろやかにして芳醇。あの憂げな旋律をまるで熟成したワインのように渋味と苦味も含みつつ、甘くホールに漂わせていく。いや〜、1曲目からアルコール抜きで酔える演奏を聴かせてくれるとは、休憩時間にビールが飲めないではないか。(実際は飲みましたが) 2曲目。海の情景を描く音楽は数多くあるが、この曲ほど海の静けさ、荒々しさ、煌めきを曲は表現した曲は他にはないだろう。曲は「海上の夜明けから真昼まで(De l'aube ? midi sur la mer)」「波の戯れ(Jeux de vagues)」「風と海の対話(Dialogue du vent et de la mer)」という3つの副題がついた部分で構成されている。 さて、このドビュッシー最高傑作と言われる曲を、ケント・ナガノとOSMのメンバーは、海の水滴までを写実するかのように端正に演奏していく。私は普段コンサートのときに目を閉じて聴くことをしないのだが、この曲は船に乗った気分でゆったりと聴いてみようと思い、目を閉じて聴いてみる。すると、目の前には自然と沖縄かキーウエストのようなサンゴのある碧い海の情景が浮かんできた。しばらくそうした情景に酔いしれて、目を開けると、今度は舞台のオーケストラがまるで木造船に浮かんでいるように見えた。そうか、ケント・ナガノ船長率いるOSMという船が海のなかを航海しているのである。エレガントな船旅をさせてもらった気分を味わった時間だった。 3曲目。休憩を挟んでお目当ての曲である。好きな曲であるが生で聴くのは初めて。舞台上には100人は越す大編成のオーケストラ。そして、パイプオルガンの前にも演奏者がいる。 曲は下記の22場面に分かれているが、これらはアルプス登山者の1日とも言っていい場面構成になっていて、それは出発前の序奏、第1部の登山、第2部の頂上、第3部の下山、そして終曲のエピローグの5部構成にもなっている。ある意味ドキュメンタリー音楽でもある。 「夜」「日の出」「登山」「森に入る」「小川に沿って歩く」「滝」「まぼろし」「お花畑」「山の牧歌」「林の中で道に迷う」「氷河へ」「危険な瞬間」「頂上にて」「絶景」「霧が湧いてくる」「太陽がかげり始める」「悲歌」「嵐の前の静けさ」「雷雨と嵐の中の下山」「日没」「エピローグ」「夜」 さて、演奏である。これはもう素晴らしいの一言である。ナガノの指揮はオーソドックスながらも、オケ全体をしっかりまとめていく統率力がある。それでいて、個々のメンバーの音色というか個性もしっかりと活かしていく。フルートとオーボエのおじさん2人のおじさんなど木管は安定感がありオケ全体を牽引している。また、トランペットのお兄さん、ホルンのおじさんとお姉さんなどの金管の音色は透明感があり、まるで氷河を思いうかべさせるようなクリスタル感に満ちあふれている。これだけの金管の音色を出せるオケが日本にはあるだろうか。一方、弦楽器も控えめながらも堅実な音を奏でていく。なかでもヴィオラとチェロは明晰かつ荘厳な響きをもたせてくれている。 OSMの演奏が世界トップクラスであることは周知していたが、これほど素晴らしいとは正直思わなかった。チケット代が少し高いのと東京では3公演あるためか、客席は7〜8割の入りだったが、観客はこの日の演奏に誰もが満足にしたのではないだろうか。私の後ろに座っていた外人のおばさん2人組は最後はヤンヤの喝采を送りつづけていた。 ただ、プログラムの3曲がどれもこれもめちゃくちゃに素晴らしかったので、アンコールの3曲は少々サービス過剰だった。特に最後のビゼーで思いっきり盛り上げて「気持ちよく帰りましょう」という趣向は、こうしたプログラムのときにはフィットしていない。。
メシアンのトゥランガリラ交響曲 昨日(11日)、NHK交響楽団の第1617回定期公演に行ってきた。指揮は準・メルクル。ピアノはピエール・ロラン・エマール。電子音楽器のオンド・マルトノは原田節。2月は8回もクラシック・コンサートに足を運んだが、先月はN響定期公演が休みだったことやら、メジャー開幕戦試合があったことなので、3回しかコンサートホールへ行けなかった。4月に入っても出張などで約1ヶ月ぶりのコンサートである。 演目 「トゥランガリラ交響曲」はボストン交響楽団がメシアンに対して、なんの制約もなくメシアンに委嘱した作品で、彼にとってはこれがが最初の大規模な管弦楽曲だった。そして、この作品は彼の代表作になると共に、20世紀現代音楽の最高傑作のひとつと言われるようにまでなっている。世界初演は1949 年にレナード・バーンスタイン指揮のボストン交響楽団が、日本初演は1962年に小澤征爾指揮のN響が行っている。 作品は下記の10楽章からなる壮大ものだが、クラシック音楽風形式の楽章で大ざっぱに分けると1〜2が第1楽章、3〜5が第2楽章、6〜7が第3楽章、8〜10が第4楽章という感じだった。 第1楽章 「導入部」 Introduction さて、演奏である。出だしからいきなりズレる。ズ・ズ・ズ・ズ・ズーン、という主題がフィットしていない。しかし、これが現代音楽特有の不協和音だから、これでいいのか・・・。よく解らない。それでも、1〜2分すると、オケの音は同じ方角をめざすベクトルの如く、不協和音を和音にしていく。それを導いているのはピアノのピエール・ロラン・エマール。彼の即興的演奏がグイグイとオケを引っ張っていく。この人は98年のN響定期でも、この曲を弾いているのだから、彼にとってはおそらく十八番なのであろう。 この曲の聴きどころは第3楽章から第5楽章にかけてである。第3楽章でオンド・マルトノが電子音楽ならではの「ひゅ〜ぅ、ひゅ〜ぅ」といったお化けのような音を奏でる。そして、クラリネットと鉄琴など打楽器、そして金管が摩訶不思議な世界を表現していく。現代音楽の真骨頂ともいうべき身体ではなく、頭で音を奏でていく世界である。ところが、観客の多くはこのあたりで、催眠術にでもかかったようかのように眠りに入っていてしまう。周りを見渡せば、半分以上の人は首をうな垂れている。恐るべし、メシアンの魔術。(笑) 第4楽章は耽美にして雄大なメロディが流れ、現代音楽らしくなく、オケのメンバーもここぞとばかり、的をえたようにゆったりと音を響かせていき、後半部ではピアノの華麗なカンデンツァが締めくくる。そして、この曲の最大のキーポイントともいうべき第5楽章に入ると、これはもう音と色と光の洪水である。舞台の上からは客席にまるでドライアイスの煙が流れてくるようであり、舞台上では星球が点滅しているというより、色鮮やかなバリーライトが点滅しているかのような光景である。約6分余りの楽章だが、これほど音が氾濫した宇宙観を描いた作曲家はいないのではないかと思うぐらい、耳も頭も身体も楽しくなる時間であった。 第6楽章以降も起伏に富んだ世界が奏でられていくが、ここから観客は半分どころか3人に2人は完全に陶酔(熟睡)の世界に入っていってしまう。この曲を入念に聴いていくと、これは現代音楽というより、西洋人がアジアの音楽を解釈していくと、こういう世界になるんだなぁと思えてくる。そう思うと現代音楽が不得手な私も、少しほくそ笑みながら現代音楽を楽しむことができそうである。この曲はいずれもう一度聴いてみたい。 「トゥランガリラ」とはサンスクリット語に起源をもつインド語で「生のエネルギー」とか「遊戯」とか「愛の歌」とかといった意味をもっているそうである。アジア人の私にもよくわからない言葉である。 今回のN響の布陣は第1ヴァイオリンは堀・酒井ほか全16人、第2ヴァイオリンは永峰&大林ほか全14人、ヴィオラは佐々木&井野邊ほか全12人、チェロは藤森&藤村ほか全10人、コントラバスは吉田ほか全8人、オーボエは茂木ほか全2人、イングリッシュホルンは池田、フルートは神田&甲斐、ピッコロは菅原、クラリネット横川ほか全5人、ファゴットは水谷ほか全3人、ホルンは松崎ほか全5人、トランペットは津堅ほか全5人、トロンボーンは新田ほか全3人、チューバは客演、打楽器は植松ほか全8人。オルガンは客演2人。
ヒラリー・ハーンとBBCフィルハーモニック 昨日(13日)、サントリーホールでのBBCフィルハーモニック日本公演に行ってきた。指揮はジャナンドレア・ノセダ。ヴァイオリンは現在世界でもっとも脂ののっているヴァイオリニストのひとりと言われるヒラリー・ハーン。 ジャナンドレア・ノセダは1964年ミラノ生まれ。1994年に指揮者としてデビュー以来、世界各地のオーケストラ(日本では東京交響楽団とNHK交響楽団)を指揮する。1997年にマリンスキー劇場首席客演指揮者に就任、オペラ指揮者としも頭角を表わし、メトロポリタン・オペラをはじめ世界各地のオペラハウスで指揮をしている。2002年にマンチェスターを本拠地とするBBCフィルの首席指揮者に就任。2004年にBBCフィルと日本ツアーを行う。任期は2010年まである。 ヒラリー・ハーンは1979年ヴァージニア州レキシントン生まれ。3歳からヴァイオリンを始め、弱冠10歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に入学。12歳でボルティモア交響楽団と共演してメジャーデビュー。その後、クリーブランド、ニューヨーク、ピッツバーグなどアメリカの一流オーケストラと共演。1999年にカーティス音楽院卒業、音楽学士号取得。使用楽器は1864年にジャン=バティスト・ヴィヨームに製作したストラディヴァリ・モデル。 演目(※はアンコール曲) 1曲目。ストラヴィンスキーということもあってか、バレエ音楽にもかかわらず100人近い大編成のオケ。この曲を聴くのが全く初めてだが、どこかで聴いたような旋律が流れる。後でプログラムを読んだら、この曲はチャイコフキーのいろいろな曲をモチーフにして書いているからだった。それでも、ところどころにストラヴィンスキーらしい現代音楽的な斬新さも散りばめられていて、非常に興味深く聴けた。ここでのノセダの指揮はどことなく右往左往していて、オペラ指揮がなれているにもかかわらず少し堅い感じだった。しかし、フルートとクラリネットの首席お兄さんの音色が黄金色のよう素晴らしく、20分近い1曲目を見事に導いていった。 2曲目。本日のお目当てである。いきなり余談だが、ヴァイオリン三大協奏曲というと世間的には、メンデルスゾーン、ベートーヴェン、ブラームスとなっている。しかし、人によってはチャイコフスキーを入れる人もいる。私などはチャイコフスキーも、そして、シベリウスも入っていない三大協奏曲なんておかしいと思っている。ということで、メンデルスゾーン、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスでヴァイオリン五大協奏曲と呼んでもらいたいものである。 さて、ヒラリー・ハーンだが、彼女は背伸びをした演奏をしない。アンネ=ゾフィ・ムターの登場以降、力強く男性的音色を奏でてグイグイと引っ張っていくタイプの女性ヴァイオリニストが多くなったが、ハーンは一音一音を確かめるように丁寧に音を奏でながら、オーケストラと協調して独自の音色を聴かせていくヴァイオリニストだ。 第1楽章。中盤からのカデンツァが圧巻だった。ハーンのヴァイオリンは高音には研ぎ澄まされた鋭い伸びはあまりないが、中音部から低音部にかけて音はお腹の底まで届くほどの重厚さに満ちている。加えて、彼女の重音奏法は鋭いテクニックで、それはシベリウスならではの音の寒さをうまく表現している。 第2楽章。短い緩徐楽章だが、ここでもハーンのヴァイオリンからは、どことなく少し冷たい水しぶきを上げるような音色が、彼女の情感を含みながら客席へと流れていく。観客はその抒情的な演奏に完全にうっとりさせられてしまう。 第3楽章。スラヴ調のアップテンポなロンド形式な楽章。ここではハーンはこれまでの緊張感のある演奏から自分自身を解放したかのように、身体も前後左右に動かしながら大らかな音色を奏でていく。そして、指揮のノセダまでノリノリになり、指揮台でジャンプをするのである。ひぇ〜、協奏曲でジャップする指揮者などお初である。そして、終盤にはハーン、ノセダ、オケは見事に溶け合って、華麗なるクライマックスを響かせてくれた。ブラボー! 休憩後は「悲愴」である。この曲については多くは書かないが、ノセダは楽章間に休みをまったく取らず、オケを一気に演奏させ、第4楽章の息途絶えるところまで、懇切丁寧にオケをまとめていた。ここでもフルートとクラリネットの2人の首席お兄さんの音色は冴え渡っていた。 ノセダは今年10月にN響のBプロとCプロを指揮する予定になっている。ちょっと楽しみである。
黒川正三と東京フィル定期演奏会 先週末(8日)、東京フィルハーモニー交響楽団第751回サントリー定期公演に行ってきた。指揮&ピアノはダン・エッティンガー。ヴァイオリンは荒井英治(東京フィルソロ・コンサートマスター)、チェロは黒川正三(東京フィルチェロ首席奏者)。 さて、タイトルにもある「黒川正三」とは何者かと言うと、実は彼は高校(都立大学附属高校)の同期生である。彼は高校卒業後、東京芸術大学に進み、同大学院在学中の1978年に東京フィルに入団。大学院修了後の翌年ウィーンに留学。1982年に帰国後、東京フィルに復帰、その後演奏活動と共に大学などで後進を指導。1991年に東京フィル首席チェロ奏者に就任している。また、1995年にフィルハーモニーカンマーアンサンブルを結成して、年2回の定期公演を行っている。 高校時代、私の学年は3年間クラス替えがなかった。私のクラスは芸術選択が美術で、まじめな学生は少なく、思想的にも新左翼系の人間が多かった。それに対して、黒川のクラスは芸術選択はもちろん音楽で、まじめな生徒が多かった。それゆえに、私と彼の接点は高校時代にはまったくなかった。それでも、彼が学校でチェロの練習をしていたりする姿を何度も見ているし、なによりも記念祭(文化祭)で彼が演じた『セロ弾きのゴーシュ』はよく覚えている。 演目 今回のプログラムはクララ・シューマン、シューマン、ブラームスという3人の人間関係という物語性を描いている。そのために、1曲目にピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏という意味深な3人の関係性を象徴する演目を配している。 1曲目。ピアノをダン・エッティンガー、ヴァイオリンを荒井英治、チェロを黒川正三が演奏。ピアノがクララ、ヴァイオリンがシューマン、チェロがブラームスなのかその関係性は全く解らないが、ヴァイオリンの音色だけがやたら強調される演奏で、もう少しバランス感覚を考えてほしかった。これでは黒川およびブラームスが可哀想だ。(笑) 2曲目。ブラームス好きの私だが、本日のお目当てはこれである。シューマンの交響曲というと第1番「春」や第3番「ライン」が有名だが、私のお気に入りはこの第4番である。しかしながら、なぜかあまり演奏される機会が少なく、私も生で聴くのは今回が初めてである。 ダン・エッティンガーの指揮はミニ・バレンボイムである。そのスタイルは全くといっていいほど同じ。軽快なリズムのときはドナルドダッグかマリリン・モンローかそれともクレヨンしんちゃんと同じように腰を左右に振ったり、下の方に両手をこぶしを突き出したり、タクトを振りながらも、左手人さし指で長めに指示をするところなど、もう瓜二つで思わず笑ってしまうほどであった。そんな彼の気迫に導かれて、オケも軽快に流れるようなシューマンの音色を響かせてくれる。途中でコントラバスの1人にアクシデントがあったが、エッティンガーもオケもそのことに全く動ぜず、一貫して艶やかにしてヴァイタリティのある音を奏でていた。終演後にエッティンガーに促されて、立たされた黒川の顔も恥ずかしながらも充実した笑顔だった。 3曲目。この曲はブラームスの最後の交響曲(シューマンの交響曲第4番は最後の交響曲ではない)ということもあってか、私には「ブラームスの悲愴」とか「ブラームスの悲劇的」というイメージがある。それなのに、ここでのエッティンガーは、バレンボイムの悪いときと同じようにフォルテを強調ばかりしていて、情感にあふれた指揮をしない。第4楽章のヴァイオリンはもう弦と弓の擦りきれんばかりで楽器から悲鳴音が聞こえ、摩擦によって生じられる煙が見えるようかのようであった。シューマンが素晴らしかっただけに、その酔いが醒めてしまったのが残念であった。
誕生祝いでN響オーチャード定期へ 一昨日(2日)、NHK交響楽団の第48回オーチャード定期公演に行ってきた。指揮はキンボー・イシイ=エトウ。ピアノはアレクサンドル・メルニコフ。今回は先日(2月21日)84歳になった母と一緒に聴きに行った。今でも母は健脚であるが、それでも聴きに行けるコンサート会場は限られるようになってしまった。有名どころでは東京文化会館、サントリーホール、オーチャードホールぐらいだろうか。東京芸術劇場にはとてもではないが連れていけない。 演目(※はアンコール曲) キンボウ・イシイ・エトウは1967年に台湾で生まれ。幼少期を日本で過ごし、その後ウィーン市立音楽院とニューヨークのジュリアード音楽院でヴァイオリンを学ぶ。ウィーン留学時代にこの日のコンマスである篠崎史紀と一緒になり親交を深める。ジュリアード2年目に左手薬指がジストニアになり、指揮者に転向を余儀なくされた。06年からベルリン・コミッシェ・オーパーの首席カペルマイスターを務め、今シーズンからアメリカのアマリロ交響楽団の音楽監督に就任した。 ピアノのアレクサンドル・メルニコフは1973年モスクワ生まれ。1989年にシューマン国際コンクール、1991年にエリザベート・コンクールに上位入賞して注目されはじめ、特にリヒテル、バシュメット、ロストロヴォーヴィッチといった巨匠たちからも評価された。現在ではヤンソンス、ゲルギエフ、デュトワなど世界の一流指揮者と共演を重ねている。 1曲目はいわゆるウォーミングアップ。それにしても、クラシック音楽のプログラムは時間合わせのためなのか、ウォーミングアップのためなのか、なぜ1曲目に歌劇の序曲を入れるのだろうか。正直「フィガロの結婚」序曲などは聴き飽きている。同様にこの「フィンガルの洞窟」序曲も少し飽き始めてきた。それでも、この日は横川晴児のクラリネットにちょっと聴き惚れてしまった。 2曲目。前述したようにメルニコフはシューマン国際コンクールに出場しているぐらいだから、この曲は得意に違いない。第1楽章の出だしから、非常に軽やかにして繊細なタッチでピアノを弾き始める。メルニコフはいわゆる鍵盤を叩いて音を出すといったピアニストではなく、鍵盤を押し出していくタイプのようだ。終盤のカデンツァでも一音一音を確かめるように丁寧に弾いていった。第2楽章はまたもや横川のクラリネットの音色が当たりまくり、メルニコフとの掛け合いも非常にマッチする。ここでうまく調子づいたのか、第3楽章ではメルニコフは身体を上下左右に動かしてノリノリになり、会場いっぱいにシューマンの豊かな旋律がこだましていった。 3曲目のN響は第1ヴァイオリンは篠崎・大宮・酒井・青木ほか全16人?、第2ヴァイオリンは山口&大林ほか全14人?、ヴィオラは小野ほか全12人?、チェロは藤森&桑田ほか全10人、コントラバスは吉田ほか全8人、オーボエは青山&和久井、フルートは神田&菅原、クラリネットは横川&松本、ファゴットは岡崎・森田・菅原、ホルンは松崎・日高・樋口・中島、トランペット関山&栃本、トロンボーンは栗田・吉川・黒川、ティンパニーは久保といった布陣だった。 先日も書いたが、私はこの曲の最大のキーポイントはホルンだと思っている。ホルンの善し悪しでこの曲の出来が左右される。今回はそのホルンの首席に松崎裕が座っているので安心である。彼はこれまでに数多くの素晴らしい名演奏を行っていて、私も2年前のブロムシュテット指揮のときの演奏にめちゃくちゃに感動した覚えがある。勝手ながら私は彼が日本一上手いホルン奏者だと思っている。 第1楽章。出だしから指揮のキンボー・イシイ=エトウはオケに重厚感たっぷりの音色を要求していく。オケもそれに応えるかのようにブラームス独特の深みと厚みのある低音を響かせていく。また、総勢30人以上におよぶヴァイオリンも一糸乱れず統率力のとれた音を奏でていく。う〜ん、これがやはりブラームスだよ、先日のロジャー・ノリントン(シュトゥットガルト放送交響楽団)のノンヴィブラート奏法とはやっぱり違うような、と思ってしまう。 第2楽章。青山聖樹のオーボエと神田寛明のフルートの音色が冴えわたる。加えてここでも横川のクラリネットが抜群のサポートをする。しかし、ホルンの松崎が冴えない。終盤のコンマス篠崎との掛け合いの音色にいつもの冴えがない。座っている姿も普段と違ってどことなく落ち着きがないように見えてしまう。 第3楽章。優美にしてロマンティックな旋律を木管と金管が奏でていく。ここでも横川の音色が頭ひとつ抜けた感じで、会場を席巻していく。この日の横川はめちゃくちゃに大当たりだった。 第4楽章。壮大にして重厚なクライマックス。弦は第1楽章から見事に統率されていて、ここでも、出だしにあの不吉な感じの音色を見事に押し出していく。そして、最大のポイントのホルンである。ここで松崎は無難な音色を轟かせるが、彼特有の透明感はなく私には少しがっかりだった。それでもオケは少しピッチをあげたイシイ=エトウの指揮の下で、ブラームスの世界を描いていく。特に上手側に配置された藤森亮一率いるチェロの音色がビシビシと伝わってくる。いい仕事しています、といった感じである。イシイ=エトウは最後まで渾身の力でタクトを振り、オケをまとめ上げていた。 終演後、母親に感想を聞くと「シューマンは第3楽章がよかったね。ブラームスは疲れるのでもういいわ。でも、チェロとコントラバスの人たちは凄いわね」というご意見であった。 |