クラシック音楽鑑賞記録(2008年6月〜8月)

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2008/08/09(土) ミューザ川崎     東響@フェスタ・サマーミューザKAWASAKI

2008/08/05(火) ミューザ川崎     東京フィル@フェスタ・サマーミューザKAWASAKI

2008/07/26(土) ミューザ川崎     都響@フェスタ・サマーミューザKAWASAKI

2008/07/18(金) NHKホール     ファビオ・ルイージ恐るべし

2008/06/25(水) NHKホール     2008〜2009シーズン最後のN響

2008/06/21(土) サントリーホール   コバケンと日本フィルの絆

2008/06/20(金) NHKホール     すべて暗譜のマッシモ・ザネッティ

2008/06/14(土) みなとみらいホール  ハネケンも喜んでいるに違いないラフマニノフ

2008/06/03(火) サントリーホール   エレーヌ・グリモーの「ピアノ協奏曲第5番」

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東響@フェスタ・サマーミューザKAWASAKI

一昨日(9日)、ミューザ川崎で開かれている「フェスタ・サマーミューザKAWASAKI」のフィナーレ・コンサートである東京交響楽団公演に行ってきました。指揮は東響音楽監督のユベール・スダーン。ピアノはミューザ川崎のアドバイザーでもある小川典子。

プログラムによると、スダーン曰く「どの曲も人々を幸せにしてくれる曲」ということで、曲名こそ知らなくても、そのメロディを聴けば誰もが知っているような曲のラインナップ。

演目(※アンコール曲)
グリンカ/「ルスランとリュドミラ」序曲
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番ハ短調
※ラフマニノフ/練習曲「音の絵」作品39の1
  〜休 憩〜
ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調
※オッフェンバック(ローゼンタール編)/オペレッタ「パリの喜び」より第6番と第22番
※川崎フロンターレ/勝利の歌
《15時00分開演、17時10分終演》

1曲目。『のだめカンタビーレ』スペシャル版のなかの指揮者コンクールで石井正則(アリtoキリギリス)演じる日本人指揮者片平が指揮台の上で飛び跳ねた曲である。スダーンはさすがに飛び跳ねたりはしなかったが、左手(彼はサウスポー)で力強くオケに指示をして、精緻に音をまとめあげる。

2曲目。スダーンがリードするオケは少し殺伐としたロシアの大地に風がなびるような情景を描いていく。一方、小川典子はピアノに正視して、懇切丁寧にそしてまるで精密機械のように音を奏でていく。そのために、ラフマニノフ特有の執念とか怨念という情感をあまり感じさせない。彼女のピアノは理性的であり知性的だ。ラフマニノフのもつ妖艶さや耽美さを聴きとることができない。優等生的なピアニストにはあまりラフマニノフはお似合いではないようである。

休憩を挟んで私のお目当てであるドボ8・・・。

3曲目。結論からいうと、残念ながらフィナーレにはあまりふさわしいという演奏ではなかった。第1楽章の最後に金管が余計な残響を出したり、第2楽章の主役ともいうべきフルート(主席が甲藤さちでなく残念)の音がすべったり、第3楽章では中低音部の弦が揃わなかったりと、かなり大きなミスがあちこちで目立った。加えて、全体としてドボ8のテンポの良さと、音の強弱のつけ方も中途半端な感じがして、落胆せざるを得なかった。

私の右隣に座っていたお兄さん(先日の東京フィルのオール・ラフマニノフ・プログラムのときも彼が隣だった)は、演奏終了後サッさと帰り支度をはじめ、アンコールを聴かずに席をたってしまった。一方、左隣の香水プンプンのおばさん集団(5〜6人)はヤンヤンヤ喝采の拍手を送っていた。

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東京フィル@フェスタ・サマーミューザKAWASAKI

昨日(5日)、ミューザ川崎で開かれている「フェスタ・サマーミューザKAWASAKI」の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会に行ってきました。指揮は尾高忠明。ピアノは小山実稚恵。尾高は1974年から91年まで東京フィルの常任指揮者を務めていて、現在は同楽団の桂冠指揮者。

演目はオール・ラフマニノフ。先日の都響の「展覧会の絵」プログラムも楽しみにしていたが、この日のプログラムは今回のフェスタ最大の目玉であり、メチャクチャに楽しみにしていた。それゆえに、日曜にジムで左足を少し痛めたが、その足をちょっと引きづりながらも会場へ馳せ参じた。客席は満席。

演目
ラフマニノフ/ヴォカリーズ<オーケストラ版>
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
  〜休 憩〜
ラフマニノフ/交響曲第2番
《19時00分開演、21時05分終演》

1曲目。
ヴォカリーズを生で聴くのは初めて。オーケストラ版ももちろん初めて。美しい旋律の曲だで、ヴァイオリンは美しい音色を奏でるものの、弦の中低音部が拡散していて、明らかにバラバラの演奏。加えて、木管金管陣もウォーミングアップの感があるせいか精彩がない。尾高さん、こんな演奏でいいのと、少し呆れてしまう感じだった。

2曲目。
小山実稚恵は凄いと思う。これまで何度も彼女の演奏を聴いているが、一度もハズレはない。この人ほどコンセントレーションのあるピアニストはいないかもしれない。今回は協奏曲でなく狂詩曲というせいもあるためか、演奏はもう彼女の完全な独壇場であった。いつもなら、「叩く」という印象の強い彼女だが、今回はメローな旋律の多い曲ゆえに、そういう印象はなかった。

冒頭、彼女の指は撥ねる。水滴がはじけるように指が鍵盤から撥ねていく。その後は自由に左右に翔び、変幻自在に舞う。そして、時たま自分自身を納得させるかの如く、天を仰ぎ上体を揺らす。観客は彼女の一挙手一投足に釘付け。一方、指揮の尾高は彼女を信頼しているようで、彼女へ指示などは出さずにオケをまとめることだけに専念している。

後半の最も有名な優美にしてロマンチックな旋律(第18変奏)を、彼女がソロで奏ではじめると、ミューザ川崎にいる観客すべてが彼女の指によって癒されているかのようであり、彼女の巧みな技術力と表現力は底知れぬものを感じる。ラフマニノフ最後の名作という曲(61歳のときの作品)をこれだけ鮮やかに弾ける女性ピアニストはそうそういないであろう。小山実稚恵にラフマニノフはお似合いである。ブラヴァー!

約20分間の休憩を挟んで3曲目。
指揮台の前に譜面台はあれど、そこに譜面は置かれていない。尾高忠明は1時間におよぶ大作を完全暗譜で挑む。

第1楽章。チェロとコントラバスの低い音から入る。そして、木管群の「ファ〜〜ン」という気だるい音が聴こえる。ラフマニノフならではの哀愁を帯びた世界が始まる。ゆったりとした悲しみを帯びた主題のメロディをヴァイオリンが奏でていく。尾高は右手で大きくヴィオラやチェロの中低音部を煽る。前半の演奏では精彩がなかった弦の中低音部に艶のある音色が引き出されていく。う〜ん、これは期待できそうだぞ、と思わせてくれる。そして、クラリネット(杉山伸)の悲しい音色が綺麗にこだまする。オケ全体も一秒もしくは一小節ごとにどんどんにまとまっていき、後半部分のシンバルなどの打楽器を多用して、オケ全体が変調しながら音が落ちていく音色などは見事な重層になっていた。

第2楽章。軽やかなホルンの音色で始まるが、残念ながらその音色に冴えはない。それでも、スケルツォを弦が飛び跳ねていくかのように演奏していく。つづく、木管と打楽器(グロッケンシュピール=鉄琴)の響きが気持ちよさそうにスキップしていく。ただ、この楽章のポイントであるホルンに輝きがなかったせいか、この楽章の印象は薄い。

第3楽章。今や知らない者はいなくなった人はいなっくなったほど有名になったアダージョ。ゆるやかにして甘美なスラヴ調のメロディからクラリネットが愛のロマンスを歌いあげげる。何度聴いてもここは美しい。そして、涙腺も弛んでくる。客席を見渡すと何人もが目頭を押さえている。誰もが心のなかで陶酔しているか、夢に浸っているようである。そして、身体の感情を揺さぶるかのように変調していくパートのメロディでは、私の頬にもひとすじの熱いものがつたっていってしまった。

第4楽章。行進曲風の勇ましいメロディから始まる。指揮の尾高は身体を上下もしくは前後に2分の2拍子でとりながら、オケ全体を自分のもとへ引き寄せようとしていく。コンマスの荒井英治も上体を大きく揺らして、それに従うように促していく。そして、最後はシンバルや太鼓の音色に格調を加えながら、ぐるぐる旋回して大団円を迎えていった。そして、会場からはブラボーの嵐が飛びかった。

尾高忠明は先日のN響のエルガー交響曲第1番も見事であったが、今回のラフマニノフ交響曲第2番も見事であった。共に彼の十八番の曲といえども、今の彼は日本一脂がのっている日本人指揮者かもしれない。

小山実稚恵は世界的ピアニストである。そんな彼女は現在は日本を主舞台に演奏活動してくれている。先日の清水和音といい、今の彼女も円熟期にいるであろうから、今の彼女の演奏を聴かないのはクラシック音楽ファンにとっては損であろう。チャンスがある人は是非とも彼女の演奏を聴いてほしい。

昨日の演奏会の終了後に最初に感じたことは、第一に妖艶にして耽美な交響曲を残してくれたラフマニノフに感謝、第二に美しい音を響きわたせてくれるミューザ川崎ホールに感謝、第三に咳ばらいもほとんどせすに熱心に集中して聴いてくれたお客さんに感謝、であった。素晴らしいひとときであった。

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都響@フェスタ・サマーミューザKAWASAKI

先日(26日)、ミューザ川崎で開かれている「フェスタ・サマーミューザKAWASAKI」の東京都交響楽団の公演に行ってきました。指揮およびピアノ独奏は迫昭嘉。

「展覧会の絵」をオリジナルであるピアノ版と、ラヴェル編曲によるオーケストラ版を一度に聴ける面白い企画である。そして、ピアノ独奏者が、そのままオーケストラ版も指揮するというのも、大胆で面白い。サマーフェスタならではの企画であり楽しみにしていた。

演目(※アンコール曲)
ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」(ピアノ独奏)
  〜休 憩〜
ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」
※ラヴェル/ラヴェル亡き王女のためのパヴァーヌ
《15時00分開演、16時50分終演》

1曲目。生でピアノ独奏による「展覧会の絵」を聴くのは初めて。迫昭嘉は1980年代に第35回ジュネーヴ国際コンクール最高位(1位なしの2位)を受賞しているというピアニスト。その落ち着いた演奏はどことなく学者肌で、先生が生徒に教えるか言い聞かせるような演奏。正直、個性的とか情熱的という感じはまったくないが、朴訥と黒板を背に講義を聴いているかのように、ピアノ演奏を聴いていた。しかし、それが徐々に組曲の構成が何たるかを解らしめていき、ムソルグスキーの曲へのこだわりが何であるかを感じ取れるようになっていく。不思議なもんである。迫昭嘉は実際に東京芸術大学教授であり、その授業をたっぷりと聴いたような演奏であった。満足。

2曲目。この日の都響の中低音部は少し甘かったと思う。ググッとくるものを感じない。冒頭に首席トランペット(WHO?)が高らかに綺麗な音を奏でたのにもかかわらず、その後に続くヴィオラ、チェロ、コントラバスの響きは力強さがない上に、曲を引っ張っていこうという意志を感じられない。ラヴェルが編曲しているので、どうしてもこの曲のいいところは、トランペットやホルン(西條貴人)などの金管や木管にもっていかれるが、やはり全体の音を支えているのは弦である。弦に輝きがないと、上辺だけの旋律を聴いている音楽になってしまう。

指揮の迫昭嘉はここでもやはり大学の先生風であり、別に感情を剥き出しにしたりしない。ただし、オケ版の「展覧会の絵」はピアノ版のような解説に満ちた演奏ではなく、その違いを説明することもなく、ただ粛々と演奏されるだけになっていた。

アンコールでラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴いたのは初めて。この曲はいつ聴いても泣けてくる。定期演奏会などでは大概はオープニングに使われているが、最後の最後に聴くとこみ上げてくるものがある。オケ版の「展覧会の絵」がちょっと不満だっただけに、この素晴らしい選曲には救われた思いだった。

この日は土曜の午後という割りにはお客さんの入りが寂しかった。次の「サマーフェスタカワサキ」は来月5日(火)に行く。この日は尾高忠明&東京フィルのオール・ラフマニノフ・プログラムで、ピアノは小山実稚恵である。もっともっと数多くの人が訪れてほしいと思う。

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ファビオ・ルイージ恐るべし

昨日(18日)、NHKホールでのN響「夏」2008コンサートに行ってきた。指揮は最近めきめき腕を上げて世界的にも評価が高いファビオ・ルイージ。ヴァイオリンは韓国の新鋭ペク・ジュヤン。演目が超ポピュラーなこともあってかチケットは完売。でも、私の前の席はなぜか空いていた。w

ファビオ・ルイージは1959年イタリア・ジェノヴァ生まれ。パガニーニ音楽院、グラーツ音楽院で学び、ウィーン・トーンキュストラ管弦楽団、ライプチヒ放送交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団を経て、現在はウィーン交響楽団の首席指揮者と、ザクセン州立歌劇場(ゼンパー・オーパー)およびシュターツカペレ・ドレスデンの音楽監督を務めている。

ペク・ジュヤンは韓国ソウル生まれ。数多くの国際コンクールに入賞して、韓国でもっとも権威があるという東亜国際音楽コンクールで優勝。その後、世界各地のオーケストラと共演して、2005年からは異例の若さでソウル大学教授に就任している。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
※パガニーニ/カプリス第8番
  〜休 憩〜
ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調
※ベートーヴェン/交響曲第8番第2楽章より
《19時00分開演、20時55分終演》

ペク・ジュヤンはコバルト・グリーンの鮮やかなドレスで登場。背丈も大きく、その姿はまるで緑色の人魚姫(隣りのおばさんの表現)であった。しかし、彼女が奏でるヴァイオリンの音色はチャイコフスキーにしては、かなり艶やかにして張りがあり重厚感に満ちている。もちろん、そのテクニックも非常に見事なものがある。ただ、チャイコフスキーの曲としては、もう少し音の強弱というか、引き出しのメリハリがあってもいいのかなぁ、と思う演奏だった。しかし、逆に彼女のテクニックをすれば、パガニーニやバルトーク、ショスタコーヴィッチといった、いわゆる難曲のヴァオイオリン協奏曲が向いているのかもしれない。隣りのおばさんは「彼女のシベリウスを聴いてみたいなぁ」と漏らしていた。

さて、休憩を挟んで、ベートーヴェンの交響曲第7番。通称「ベト7」である。私は昨年5月に指揮渡邊一正@東京文化会館、6月に指揮アシュケナージ@NHKホール、11月に指揮ネルロ・サンティ@サントリーホールと、N響のベト7を3回も聴いている。(笑)今年は今回だけであろう。

ファビオ・ルイージの指揮は凄い。久しぶりに鳥肌ものの指揮者を見たような気がする。この人は間違いなくいずれ世界の超一流指揮者になると確信した。彼ほどN響の弦をしなやかにして、豊饒感ある音色を引き出した指揮者はこれまでいなかった。

その情熱的にして弦を中心としたオケへのパートパートの的確な指示は、奏でる者だけでなく見る者も圧倒させる。それは、あの広いNHKホールの支配者は俺なんだ!と言わんばかりにも見える。しかし、聴衆をベートーヴェンの世界へぐいぐいと引きこんでいくその指揮ぶりとエネルギーは素晴らしい。

こうしたルイージの指揮に対して、コンマス堀正文をはじめとする弦はベト7特有のグルグルと旋回するようなハーモニーを見事に奏でていくが、要所要所で登場する金管の音色は妙に割れている。隣りのおばさんも「ウィーンフィルの金管はもっと透んでいるのにねぇ」と嘆いていた。

なお、この日の演奏会は8月22日(金)午前10時からのBS2「N響演奏会」で放送予定になっている。

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2008〜2009シーズン最後のN響

先日(25日水曜)、サントリーホールでのNHK交響楽団第1624回定期公演に行ってきた。指揮は前回同様マッシモ・ザネッティで、今回も全曲指揮台の前には譜面台なしの暗譜だった。歌唱はソプラノのリサ・ラルソン。

リサ・ラルソンはスウェーデン出身。バーゼルで音楽教育を受け、1993年よりチューリヒ歌劇場、1995年にムーティ指揮のミラノ・スカラ座にデビュー。その後はモーツァルトのスザンナ(フィガロの結婚)やツェルリーナ(ドン・ジョバンニ)などの役で頭角を現わした。今回が初来日。

演目(※アンコール曲)
モーツァルト/歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲
モーツァルト/アリア「だれが知っているでしょう、私のいとしい人の苦しみを」K.582
モーツァルト/アリア「私は行ってしまう、でもどこへ」K.583
モーツァルト/アリア「大いなる魂と高貴な心は」K.578
R. シュトラウス/歌曲集作品17から「セレナード」
R. シュトラウス/歌曲集作品56から「東から来た3人の王」
R. シュトラウス/歌曲集作品27から「あすの朝」
※R.シュトラウス/歌曲集作品10から「献身」
  〜休 憩〜
R. シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」
《19時00分開演、20時45分終演》

リサ・ラルソンはこの日は体調が悪いという告知がロビーにあったが、どうしてどうして、これで体調が悪いなら、あの声はと思わせるほどの魅惑的だった。私はイタリア語もドイツ語も解らないので、オペラを観にいくことがあまりないのだが、彼女の声はそんな言葉なんか関係なく、軽めながらも愛らしい歌声だった。

さて、後半の「ツァラトゥストラ」は映画「2001年宇宙の旅」に使われて有名になった曲である。あの映画が公開されたのは私が中学生のときだったから、もう40年にもなる。

この曲はパイプオルガンを含めて100人以上の大編成によるため、サントリーホールの舞台の人口面積はちょっと過密状態。冒頭、マッシモ・ザネッティの全身を使って勢いのある大きなアクションで、金管を中心に思いっきり音を煽る。それに応えるべく、最近好調のN響金管陣がけたたましくも透んだ音色を奏でる。しかし、弦とマッチしていない。というより、ザネッティの指揮がどうもチグハグのような気がする。そして、この曲がもつ本来のニーチェの思想性や価値観がほとんど感じられない。

ザネッティは先日の「ローマの松」や「ローマの祭り」、そして今回の「ツァラトゥストラ」と金管主体の音楽が十八番なのかもしれない。そして、自国イタリアの歴史感はものの見事に表現したが、ドイツの実存主義がもつ哲学性を表現することはなかった。そういう意味ではザネッティが名指揮者になるまでには少し時間がかかるようだ。

【追記】この日の演奏は7月30日(水)午前9時よりBS-hiで放送予定。

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コバケンと日本フィルの絆

先日(21日)、サントリーホールでの日本フィルハーモニー交響楽団第601回東京定期演奏会に行ってきた。指揮は小林研一郎。ピアノは清水和音。

演目
芥川也寸志/弦楽のための3楽章
フランク/交響的変奏曲
  〜休 憩〜
フランク/交響曲
《14時00分開演、15時55分終演》

まず会場に入ってびっくり。ダラシないネクタイと超ミニスカの高校生がうじゃうじゃいる。その数は200人以上と思われる。音楽鑑賞会なのか、それとも空席埋めの動員なのか解らないが、これは先が思いやられるなと思ってしまう。

1曲目。芥川也寸志の代表作みたいだが、私は初めて聴く。芥川というとどうしても大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲をすぐに思い出してしまうが、この曲はそれを遥かに上回る名曲だと思わざるえなかった。

第1楽章はパートパートにヴォイオリンのソロなどはあるもののの、全体に芥川の師匠である伊福部昭ばりの重低音が奏でられ、それでいて快活に満ちた楽章になっている。第2楽章は全編を弱音で通した子守歌の楽章になっている。そして、第3楽章はお囃子や太鼓は登場しないものの、弦だけで日本の田舎風景を象徴するかのようなお祭りを表現している。

この曲はN響の常任指揮者をしていたクルト・ヴェスに依頼された作品で、初演は1953年12月にニューヨークのカーネギー・ホールで彼の指揮によってニューヨーク・フィルハーモニックで演奏されている。日本フィルは先日も吉松隆の名曲「鳥の時代」をフィーチャーしたが、今後も日本人の優れた曲をどんどんプログラムに入れてもらいたい。

2曲目。約15分ほどの非常に短いピアノ協奏曲。これといった印象的な旋律やリズムがある曲ではないが、清水和音の指運びから奏でられる音色はとても美しい。コバケンとの息もピッタリとあっている。清水はおそらくピアニストとしても現在円熟期を迎えているのではないないだろうか。おそらく、今の彼は何を弾いても素晴らしいに違いない。今の清水を聴かない手はないと思う。

3曲目。セザール・フランクの代表作であるが、コンサートで演奏されることは意外に少ない。私もコンサートホールで聴くのは今回が2回目。演奏はコバケン節炸裂といった感じで、彼の唸り声や呻き声は1階席後方にいた私までよく聞こえた。(笑)そして、この演奏を見ていると、日本フィルのメンバーとコバケンの信頼関係というか絆を感じざるをえなかった。指揮者とオケは一体感に満ちた重厚な音を奏でて、観客を満足させていった。

恒例の終演後のコバケンの挨拶も「今日はフランクの曲を演奏して満足したので、アンコールはありません」と少し声を切らせて言ったが、観客はそれに対しても暖かい拍手を送っていた。指揮、オケ、そして観客も一体化した演奏会である。

さて、巻頭に書いた高校生たちなのだが、開演前や休憩時間は賑やかだったが、演奏中は非常に静かだった。まあ、半数以上は心地よい昼寝をしていたのだろうが・・・。それでも、このなかから、「高校生のときにコバケンのフランクを聴いたことがあるんだよ」と言う子が一人でも二人でも出ることを願いたい。

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すべて暗譜のマッシモ・ザネッティ

昨日(20日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1623回定期公演に行ってきた。指揮はマッシモ・ザネッティ。曲目がすべて有名というわけではないだろうが、4曲とも指揮台の前には譜面台なしの暗譜だった。

マッシモ・ザネッティはミラノ・ヴェルディ音楽院で音楽教育を受け、1990年代に各地の指揮者コンクールに数多く入賞する。その後、ブレーメン歌劇場の指揮者を皮切りに、ベルギーのフランドル歌劇場、コヴェント・ガーデン王立歌劇場、ミラノ・スカラ座、バイエルン州立歌劇場など一流の歌劇場でタクトを振り、ヨーロッパではオペラ指揮者として名声を得ているようだ。また、ドイツや北欧の数多くのオーケストラも指揮している。年齢は40代半ばぐらいではなかろうか。N響には2003年12月の「世界の若手指揮者シリーズ」以来の出演。

演目
ラヴェル/スペイン狂詩曲
フォーレ/組曲「ペレアスとメリザンド」
  〜休 憩〜
レスピーギ/交響詩「ローマの松」
レスピーギ/交響詩「ローマの祭り」
《19時00分開演、21時05分終演》

1曲目。指揮のザネッティはいきなり全開で顔が真っ赤か。華奢な身体にイタリアの伊達男風なのに、もう頭のてっぺんから湯気が出そうな形相で指揮をする。冒頭から飛ばしすぎじゃないのという感じ。そのためか、最初はラヴェル特有の弦と管の色彩感が少しチグハグな感じがする。しかし、第4曲「祭り」に入ると、ザネッティはオケを完全に掌握して、打楽器陣の小気味よいリズムに合わせて、スペイン風というかイタリア風の乾いた狂詩的フィナーレを奏でいく。その色彩感は地中海を思わせるような青と白に満ちていた。

2曲目。ガブリエル・フォーレの代表作。正直、この曲にはあまり期待していなかったのだが、これが大間違い。ザネッティはオペラ肌の指揮者ということからか、この組曲を叙情かつ劇的なサウンドに巧みに導いていく。第1曲「前奏曲」で今井仁志のもの悲しいホルンが響き、第3曲「シチリア舞曲」ではフルートの神田寛明とハープの早川りさ子が魅惑のハーモニーを聴かせてくれる。N響の木管や金管のメンバーが、まるでハメルンの笛吹きに導かれるように美しい音色をどんどんと聴かせる。それを支える弦はいつもながらの正確無比の揃ったボーイングで素晴らしいサポートぶりだった。

3曲目。レスピーギの「ローマ三部作」でもっとも有名な曲。そして、金管の腕の見せ所というか聴かせ所満載の曲である。バンダは舞台後方に位置する。ザネッティはこの曲を実に熟知している。

第1曲「ボルゲーゼ荘の松」では、とにかくニギニギしく遊びたっぷりに打楽器を鳴らさせる。第2曲「カタコンブ付近の松」では舞台裏からトランペット(井川明彦)を神の声のようにしっとりと轟かせる。第3曲「ジャニコロの松」では横川晴児のクラリネットと小鳥のさえずり(鳥笛?それとも録音?)を見事にオケにマッチさせる。そして、この曲のハイライトともいうべき第4曲「アッピア街道の松」では、トランペットやトロンボーンがにぎにぎしく、そして存在感のあるしっかりした音色を轟かせ、オケの向こうには古代ローマの町が浮き上がて見えるかのようであった。

4曲目。この曲はローマのガラクタ市か蚤の市か、それとも謝肉祭か感謝祭かという感じの曲で、数多くの打楽器が使用されて全体に賑やかこのうえない。

第1曲「チルチェンセス」では今度は3階席上手(右側)後方に陣取ったバンダがNHKホール全体をローマのコロッセウムにするべく音を奏でる。第2曲「五十年祭」では今度は舞台を清新な教会にするべく鐘の音がおごそかに鳴らされる。そして、第3曲「十月祭」では舞台がローマ郊外の農村に移され、酒宴のあとの寂しをマンダリンがセレナーデを歌い上げる。最後の第4曲「主顕祭」はもう弦も管も打も入り乱れて、ローマ中が狂喜乱舞して飲兵衛状態になっているかのようにして終わる。とんでもない曲であるが(笑)、ザネッティは見事にそれを表現した。

この日のN響の金管陣は本当に素晴らしかった。以前は何度か首を傾げた演奏もあったが、この日の金管陣には座布団5枚ぐらい進呈したい。ブラボー!

ネルロ・サンティも常に暗譜だが、イタリアのオペラ指揮者というのは暗譜が当たり前なのだろうか。後半の2曲は文句のつけようのない指揮ぶりだった。来週のBプロでは彼の真骨頂である歌劇の曲を何曲か指揮する。ちょっと楽しみである。

【追記】この日の演奏は7月29日(火)午前9時よりBS-hiで放送予定。

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ハネケンも喜んでいるに違いないラフマニノフ

昨日(14日)梅雨のあいまの晴天のなか、横浜みなとみらいホールでの日本フィルハーモニー第238回横浜定期演奏会行ってきた。指揮はシズオ・Z・クワハラ。ピアノは昨年10月にロン・ティボー国際コンクールピアノ部門での優勝した田村響。

実はこの公演、1年以上前のパンフレットには「ピアノ:羽田健太郎」となっていた。ハネケンさんが亡くなったのは1年前の6月2日であるから、この公演は本来ならばハネケンさんの1周忌追悼公演としてもいいはずなのだが、会場にも公演パンフにもそのようなことは、残念ながら一言も書かれていなかった。

田村響は1986年12月愛知県安城市生まれ。愛知県立明和高等学校音楽科を卒業、現在はオーストリアのザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学に在学中。これまでに数多くの賞を受賞していて、2004年にすでにCDデビューもしている。ショパン、ラフマニノフを得意としているようで、今後の活躍を大いに期待されている注目のピアニスト。

演目(※アンコール曲)
アダムス/高速機械で早乗り
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番
  〜休 憩〜
デュカス/交響詩《魔法使いの弟子》
ストラヴィンスキー/バレエ組曲《火の鳥》(1919年版)
※チャイコフスキー/「白鳥の湖」よりワルツ
《18時00分開演、20時00分終演》

1曲目。初めて聴く曲である。2台のシンセサイザーに数多くの打楽器が配置され、4分あまりの曲なのだが、最初から最後まで弦も、木管も、金管も、打楽器も休むことなく鳴りつづける。かといってうるさいというわけでもなく、一定の音を効果的に強弱をつけながらリズミカルに進んでいく。現代音楽というよりも、気分を高揚させてくれるポップスのようなかっこいい曲である。

2曲目。もちろん、本日のお目当てである。
第1楽章。冒頭いきなりオヤッと思ってしまう。アルペジオの音色がかなり弱いのである。ピアノ協奏曲といえば、ピアノが6でオケが4ぐらいの割合の音色のはずが、まるで5対5もしくはそれより低く感じられる。え、ピアノがオケに同調しちゃっているラフマニノフなんて思ってしまう。それはホールのせい、それともピアニストのせい、それともオケのせい・・・。しかし、徐々に田村のピアノは繊細ながらも大胆なフォルテに変わっていく。そして、コンマス・扇谷泰朋率いる弦が非常に整った艶やかなバックを奏でていく。う〜ん、甘美にして華麗なラフマニノフと浸っていく。

第2楽章。ピアノ主体のゆったりとした緩徐楽章である。ピアノと木管の掛け合いが特徴的であるが、特に難波薫のフルートと真田伊都子のオーボエの艶っぽい音色がピアノと見事に融和していく。そして、少し陶酔状態気味の田村はまるで女性を愛撫するかのように、優しく鍵盤に触れていく。ロマンチックにして官能的な響きの時間である。これこそ、ラフマニノフである。

第3楽章。波うつような旋律が美しい。田村の指はピアノを転げ回るように動いていく。そして、第1楽章の主題にもどっていくと、今度は圧倒的な存在感を示すかのように、怒濤の展開でピアノを自らの身体にするべく引き寄せていく。しかし、終曲部では軽やかにピアノに別れをつげるかのに引き離していく。男と女の出会いと別れを描いたような見事な演奏であった。

この日の演奏を天国でグラスを傾けながら聴いていたであろう羽田健太郎は「田村くんには、とてもじゃないが敵わないなぁ」と喜んでいるに違いない。そして、私は田村響、クワハラ、扇谷泰朋の新世代ともいうべき3人が丁々発止しながら、それぞれがオーラを放ちつつトライアングルで演奏に取り組んでいる姿を見れたのが嬉しくてたまらなかった。

前半の2曲は指揮台の譜面台が置かれていたが、後半になると譜面台がない。おそらく指揮のクワハラは後半の2曲を得意としているのだろう。

3曲目。ポール・デュカスの代表作。ゲーテのバラードに基づいて作られたという曲で、ディズニーの「ファンタジア」に使われて有名になった。首を振って歩きたくなるような特徴あるメロディとリズムで構成されている。クワハラは指揮棒をもたず、身体を左右にゆすりながら、リズミカルに指揮を行うが、オケの音色には強弱のメリハリが感じられない。もっとマンガチックな感じがしてもいい曲なので、もう少し遊びがほしかった。

4曲目。日本フィルはバレエ音楽の演奏には定評があるが、なんとなく無難にまとめた感の演奏であった。金管の音色が全体に弱いような感じで、ストラヴィンスキーならではの色彩感に欠けていたような気がする。なかでも一番の聴きどころの「魔王カスチェイの凶悪な踊り」はもっともっと大胆な音を聴いてみたかった。

横浜みなとみらいホールで聴くのは、おそらく3〜4年ぶりだったが、ここは音響が素晴らしい。秋以降の日本フィル公演はサントリーホールより、こっちにしようかと思ってしまうほどであった。

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エレーヌ・グリモーの「ピアノ協奏曲第5番」

昨日(3日)雨の中、サントリーホールでのフランクフルト放送交響楽団のコンサートに行ってきた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。ピアノはエレーヌ・グリモー。お目当ては以前よりは一度は聴いてみたいと思っていたエレーヌ・グリモーである。

エレーヌ・グリモーは1969年フランス生まれ。ダニエル・バレンボイムに見いだされ、1987年に彼が指揮するパリ管弦楽団と共演してプロデビュー。それ以降、世界各地の有名オーケストラと共演。現在もっとも人気のあるピアニストのひとりである。彼女はフランス人でありながら、フランス音楽にあまり興味がないようで、ベートーヴェン、ブラームスなどのドイツ音楽とショパン、ラフマニノフなどのロマンチックな音楽を主体に演奏活動を続けている。 21歳のときにアメリカに渡り、1999年には狼の保護施設を設立するなど動物学にも精通していて、慈善活動も数多く行っている。

演目(※アンコール曲)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」
※ベートーヴェン/ピアノソナタ第30番から第1楽章
  〜休 憩〜
ブルックナー/交響曲第7番ノヴァーク版)
※ステンハンマル/カンタータ『歌』から間奏曲
《19時00分開演、21時40分終演》

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番。この曲を誰が「皇帝」という名をつけたかは知らないが、エレーヌ・グリモーが奏でるこの曲は「皇帝」ではなく、それは「ピアノ協奏曲第5番」であり、私はそれを聴きたかった。

第1楽章。冒頭、グリモーのか細い右手の指がなめらかに鍵盤の上をすべっていく。同じように、柔らかいタッチのなめらかな音色をオーケストラが序奏を奏でていく。その音は決して威厳ぶることなく、優雅にして軽やかである。ピアノの重要なサポート役となるホルンの音色もふくよかにしてぬくもりがある。パーヴォ・ヤルヴィ、お主やるなぁ、と私は思わずほくそ笑んでしまう。こうした私の思いが通じたのか、グリモーの指からは小さな水晶玉やらガラス玉のような色彩管のある音色がどんどん弾かれていく。ライト感覚で聡明で理性に溢れる音が流れてくる。ウワォー、ワンダフルです。

第2楽章。穏やかな旋律が広がる緩徐楽章である。第1楽章ではピアノと正対していたグリモーがここでは、上体を前後左右にゆっくり大きく揺らしながら、瞑想するかのように音を奏でていく。その光景はまるで草原のなかで、ポツンとひとり弾いているような姿にも見え、花の香りばかりでなく、草木が揺れる風の音も感じとられる。こんな優美な演奏をこれまでに聴いたことがない。もうここで「ブラヴァー!」と言いたくなってしまうぐらいである。

第3楽章。快活あふれるリズムと旋律で始まる。グリモーはまったくのマイペースで気負いも迷いも何もない。自分が求めるベートーヴェンを自由気ままに弾いている。楽章の半ばからどんどん変調していくところでも、さりげなく指を技巧してあくまでも軽やかに弾いていく。左手の動きが見事で、あの左手があるからこそ、この曲が他のピアニストが弾くような硬く威厳に満ちた曲ではなく、軟らかくそして暖かみのあるピアノ協奏曲になるのだと思ってしまう。最後の最後はティンバニーと同調しながら、グリモーはまるで鍵盤の蓋をするかのにように、ピアノのを静めていく。エクセレントです。

何度も書くようで申し訳ないが、グリモーが奏でる「皇帝」は「皇帝」ではなく、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第5番」であり、それはクラシックを聴いているというより、ポップスを聴いているかのようであり、妙な疲れを覚えることなく、気軽に聴くことができた。この曲はベートヴェンの「ピアノ協奏曲第5番」であると共にエレーヌ・グリモーの「ピアノ協奏曲第5番」でもあった。

2曲目のブルックナーは長かった。1曲目がグリモーだったので、このプログラムは?と思っていたが、それが当たってしまった。できればブラームスの第4番あたりを聴きたかった。

【追記】この日の演奏会にはNHKのテレビ・クルーが入っていた。秋以降の芸術劇場で放送される模様です。

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