| クラシック音楽鑑賞記録(2008年9月〜10月) |
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2008/10/29(水) サントリーホール ラフマニノフとレスピーギの相性は・・・ 2008/10/24(金) サントリーホール 難曲だらけだった尾高忠明&日本フィル 2008/10/22(水) NHKホール サラ・チャン&N響@NHK音楽祭 2008/10/17(金) NHKホール ジャナンドレア・ノセダとエンリコ・ディンド 2008/10/11(土) みなとみらいホール 西本智実はワルツがお得意? 2008/09/28(日) オーチャードホール N響を聴くならオーチャードかサントリーで 2008/09/27(土) みなとみらいホール 日本フィルの“鉄板レース”プログラム 2008/09/24(水) サントリーホール N響によるタン・ドゥンの日本初演2作品 2008/09/19(金) NHKホール N響定期演奏会と開演前の室内楽 2008/09/14(日) ミューザ川崎 リッカルド・ムーティとウィーン・フィル 2008/09/11(木) サントリーホール シーズン開幕は新日本フィルで |
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CONTENTS
ラフマニノフとレスピーギの相性は・・・ レイフ・オヴェ・アンスネスは1970年ノルウェー生まれのピアニスト。N響とは1999年12月に共演していて、今回は9年ぶり。当初はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏予定だったが、演奏者の都合で第2番に変更になった。 演目(※アンコール曲) 1曲目。第1楽章冒頭、弦がお腹の底まで伝わりそうな重低音を響かせる。そして、ピアノのソロに入っていくのだが、レイフ・オヴェ・アンスネスの弾き方は非常にあっさりしている。無味乾燥とした音色なのである。少し語弊があるかもしれないが、まるで機械がピアノを弾いているように聴こえるのである。それは当たり前のことながら、目を閉じて聴こうが、目を見開いて聴いても全然変わらない。 ラフマニノフといえば、情感豊かな甘美な音楽という潜入観念がありすぎるからいけないのかもしれないが、全神経を集中して聴いていても、音が右の耳から左の耳に抜けていくようでならない。それはどうやら私だけでなく、周囲の人たちも第2楽章以降は完全に集中力を失っていき、妙にざわついている。いくらN響の観客マナーのレベルが低いといっても、これまでのラフマニノフではこんなことはなかった。 第3楽章に入ってもアンスネスのピアノは乾ききっている。胸に何も伝わってこない。オケも申し訳ないかのように合わせている感じにすら聴こえる。そして、呆気なく終わってしまった。こんな演奏を私の好きな第3番でやられたら、私は怒り心頭したかもしれない。まあ、今後この人のラフマニノフは聴くことはないだろうが。 2曲目。実はお目当てはこの曲だった。というのも、前回公演でもらった10月プログラムのなかに、この曲がレスピーギの華麗な音楽の原点であり、第1ホルンと第3ホルンが重要だと書いてあったからである。 曲は魅惑的な弦の音色で始まり、そのあとに第3ホルン(今井仁志)が主題の旋律を奏で、第1ホルン(松崎裕)がそれをエコーで補う。2人の音色が絶妙のハーモニーを轟かせる。そのあとにチェロ(藤森亮一)の主題が重ねられていくのだが、オケ全体には若々しい色彩感豊かなレスピーギの世界が繰り広げられる。それは純粋な乙女心をもったようなオーケストレーションで、この曲がまぎれもなく後の名作となったローマ三部作の原点であるということが解る。たった6分の曲なのだが、すぐにもう一度聴いてみたいと思うぐらい、素晴らしい隠れた名曲だと思わざるをえなかった。 3曲目。この曲は賛否両論があると思う。ラフマニノフのピアノ曲5曲をレスピーギが編曲したのものであるが、正直、ラフマニノフの世界からはほど遠く、完全にレスピーギである。第1曲目の「海とかもめ」こそラフマニノフの良さである弦の響きを効果的に使っているが、第2曲目以降の「祭り」「葬送行進曲」「赤ずきんちゃんと狼」「行進曲」はいずれもきらびやかな色彩感のある編曲で、とてもラフマニノフの曲には聴こえない。編曲者はここまで自分を主張していいのと思わざるをえなかった。 ラヴェルはムソルグスキーの「展覧会の絵」をオーケストレーションにして成功したが、こちらのレスピーギによるラフマニノフの「音の絵」は意欲的な試みであることは理解するが、少し空回りしてしまった感は否めなかった。
難曲だらけだった尾高忠明&日本フィル 演目 3曲とも生演奏を聴くのは初めて。そして、この3曲が、それぞれ演奏するのに非常に難しい曲であることがなんとなく解った。終演後、尾高忠明と日本フィルは「よくもまあ、こんなプログラムを組んだもんだ」と思ってしまった。 1曲目。モーツァルトは不得手である。なぜかといえば、曲が長調ばかりでどれもこれも似たような感じで聴こえてしまうからだろうか。この曲もきらびやかでマーチでもメヌエットでも祝祭的な旋律が出てくる。そして、最後は大団円というお決まりの構成である。う〜ん、やはり不得手である。ただ、聴いていて思ったのが、意外にモーツァルトにしては転調が多く、中低音部の演奏が難しそうで、チョロやコントラバス陣が苦戦しているように見えた。 2曲目。過去に日本人作曲家に委託した曲を再演するシリーズで、前回の吉松隆の「鳥の時代」は目からウロコといった感じの名曲だった。そして、今回は三善晃の1960年作である。う〜ん、なんと言っていいのだろう。雅楽や能楽に影響されながらも、独自の思想性を思いっきり貫いている現代音楽とでも、言うのだろうか。とてもじゃないが、1回や2回聴いただけでは理解できるような曲ではない。 3曲目。お目当てである。楽しみにしていた。CDでは何度も聴いている。そして、生で聴いてみて初めて、なんと巧妙なというか混み入った曲なのかと感心せざるをえなかった。特にクラリネットをはじめとした木管に、弦が奏でる主旋律とは少しかけ離れているような旋律を弱音で吹かせたりしているシーンがところどころにある。こうしたことによって、なんとも複雑怪奇な音色を醸し出すのである。とても一筋縄で演奏できるような交響曲ではない。だから、あまり演奏されないのかもしれない・・・。 最初にも書いたが、こんな難曲を3つも演奏するとは大変だったろうと思う。終演後の尾高はさすがに疲れきっていたが、コンマスの木野雅之は身体も堂々としているが、自信が満ちた笑顔をしていた。日本フィルのメンバーにとって、濃厚にして充実した1時間50分であったに違いない。
サラ・チャン&N響@NHK音楽祭 さて、指揮は先日のN響定期公演で存在感のあるタクトを振ったジャナンドレア・ノセダ。ヴァイオリンはサラ・チャン。韓国人の両親のもとにフィラデルフィアに生まれ、8歳でニューヨーク・フィルやフィラ管と共演したという逸話の持ち主。 演目(※アンコール曲) まずは母親の感想から。 私の結論はというと、今年最悪のN響コンサート、だった。先週の「スコットランド」はいったいなんだったのだろうかと思うほどであった。 ここからは非常に生意気なことを書かせてもらう。 N響は楽譜に書かれている音符を情念や情感にすることは非常に優れたオーケストラだと思う。その意味では管弦楽曲や交響曲は問題なく演奏する。ところが、楽譜に物語性が内包されている音楽のときに、どうしようもなく凡庸な演奏することがある。 私の母親は84歳にして現在もお絵描き教室(油絵)に通っている。また、月に1〜2回は展覧会などにも行っている。その母からすれば昨日の「展覧会の絵」は展覧会場すら見つけられなかったのかもしれない。 私は25歳で編集者となり、映画、芝居、音楽、漫画、写真などいろいろな芸術もしくはサブカルチャーと接する機会を得た。また、芝居の製作などもして、表現者たちの心意気や真骨頂を目の当たりにしてきた。そうした経験からすると、昨日の演奏会を聴いていると、やはりN響は1年に一度はオーケストラボックスに入って、オペラやバレエの演奏をするべきではないかと思わざるをえなかった。また、個々の演奏者の方たちも、演奏会やレッスンなどで忙しいとは思うが、音楽を離れて芝居や絵画など他の芸術にもっともっと触れ合う機会をもった方がいいのではないかとすら思ってしまった。 昨日の演奏会は明らかに練習不足であり、統率性が垣間みれなかった、とてもではないが褒められたものではない。来週水曜日(29日)にはまたノセダとN響の演奏会がサントリーホールであるが、そこでなんと雪辱を期してもらいたい。
ジャナンドレア・ノセダとエンリコ・ディンド 演目(※アンコール曲) まずは結論から。NHKホールは空席だらけ。定期会員もパスした人たちがいっぱい。こういうときは結構意外なことが起きるのだが、まさにその予感通りであった。なんと言って表現していいのか解らないが、棚からぼた餅、ひょうたんからコマ、驚き桃の木山椒の木、天変地異(これはオーバーか)、それとも「あっと驚くタメゴロー」ではないが、非常に有意義であり、心に残る演奏会だった。 1曲目。まったく初めて聴く曲である。そのせいかどうか解らないが、曲全体の構成が少し粗いような気がする。弦の間合いというか、木管金管との絡みもかなり雑な印象である。そんななかで、孤軍奮闘していたのがバスクラリネット(山根孝司)。その彼の奮闘が功を奏したのであろうか、終盤あたりでは弦との絡みもよくなっていった。最後は、この曲、結構面白いではないではないかと思うようになってしまった。 2曲目。エンリコ・ディンドは只者ではない。とにかく、上手い。顔の表情もしかめっ面になったり、笑みを浮かべたりと喜怒哀楽を思うままに出す。そして、それと共に表情豊かなチェロの音色をあの体育館のようなNHKホールに響き渡せる。空席もなんのそのである。凄い力量に感服せざるをえなかった。 第1楽章はプログラムによると映画音楽から引用らしいのだが、軽快で親しみやすい主題の旋律を奏でる。それをエンリコ・ディンドはまるで乙女の身体を撫でているかのように、うきうきしながらチェロを弾く。そして、乙女がキャッキャッと笑うかのような楽しい音色が聞こえてくる。聴いているこっちは少し恥ずかしくなりながらも、なんか羨ましくなってしまう。第2楽章ではチェロとホルン(都響の笠松長久)の掛け合いが素晴らしい。今年の5月にこの曲を都響で聴いたときも、老練な笠松の響きは素晴らしかったが、この日も職人技ともいうべき音色を轟かせていた。第3楽章のカンデンツァではエンリコはそのテクニックをいかんなく発揮する。そして、最終楽章では第1楽章で使われた楽しい旋律をオケと共に愉快に楽しく奏でていく。エンリコ・ディンド、曲者である。めちゃくちゃにブラボーであった。 3曲目。私が好きな交響曲のひとつである。曲は楽章間に休みをまったく取らず、オケにも観客にも緊張感をとぎらせず一気に演奏する。 第1楽章。序奏はヴォオラを中心にもの悲しげな音色で始まる。そして、ヴァイオリンが第1主題を奏ではじめると、曲はテンポアップしていき、ジャナンドレア・ノセダは指揮台から身を乗り出さんばかりの情熱的な指揮を展開する。顔はすでに赤鬼状態である。それに応えるかのように、弦がしなる、唸る、歌う。そして、その音色はヴァイオリン陣に女性陣が多いせいか、見た目にも聴いた目にしても優雅にして華麗である。この音色は1〜2年前までのN響ではあり得なかった。ノセダ、さすがイタリア人。女性を口説くのが上手いようである。 第2楽章。スケルツォである。クラリネット(磯部周平)がバグバイフ風の音色を奏でる。木管金管陣がそれぞれ楽しげに音色を交錯させていく。それを弦がフォローしていくが、ここでも弦の音色は格調高く限りなく上品な音色である。 第3楽章。アダージョである。ヴァイオリンがゆったりと優美な音色を奏でる。本当にこの日のヴァイオリンの音色にはほれぼれしてしまう。続いて、ホルンのリズムによって少し高揚していきながらゆっくりと展開していく。ここでも笠松の老当益壮の音色が冴えわたる。 第4楽章。颯爽としたリズムで突入していく。戦いに行く前の不安と期待を昂揚感にしていく気持ちを表しているかのように、オケは強弱のメリハリをはっきりとつけ、ダイレクトでストレートな響きをビシビシと聴かせていく。そして、この曲のクライマックスともいうべきコーダでは、王朝貴族風の「勝利の歌」に旋律が変容していく。この転換をノセダは見事に切りかえる。そして最後にホルンとトランペットが高らかな和音を奏でるが、これも威風堂々としたもので鳥肌ものの音色であった。ジャナンドレア・ノセダ、アッパレであった。 なお、この日の演奏会は11月14日(金)午前10時からのNHK-BS2の「N響演奏会」で放送予定になっている。
西本智実はワルツがお得意? 演目(※アンコール曲) 1曲目。初めて聴く曲である。ベルリオーズがローマ賞受賞あとに、ローマでスケッチした楽曲だそうである。ベルリオーズの曲としては(といっても『幻想交響曲』と『ファウストの劫罰』ぐらいしか知らないが)、非常にオーソドックスな感じ曲である。 その曲を西本智実もまるでデジタル時計の秒針のようにカチカチという感じで指揮をしていて少し興ざめする。同様にオケも坦々と時間を過ごすかのように無味乾燥に演奏していて全く面白みに欠ける。そのためか、観客も醒めた拍手をするしかなかった。 2曲目。ヴァイオリンの木野雅之は2台のヴァイオリンをもって登場。最初に使われる1台は変則調弦されたもので、この音が死神がヴァイオリンを弾くことを表している。その後はオーボエやパーカッションがガチャガチャやって、墓場での骸骨の舞踏を表現するが、正直、聴いている方はあまり気持ちのいい音楽ではない。う〜ん・・・。 3曲目。『ハバネラ』と言えばビゼーの歌劇『カルメン』であるが、このサン=サーンスの曲も悪くない。前曲では変調ヴァイオリンに手こづっていた木野雅之もここではノビノビとヴァイオリンを奏でる。 休憩を挟んで、4曲目は私の好きな『幻想交響曲』。プログラムには下記のベルリオーズの各楽章解説が書かれていた。 第1楽章:「夢、情熱」 第1楽章。西本智実は弦を全体的にかなり押さえて指揮をする。少し物足りなく感じるが、あとからすれば、この押さえた演奏は正解だった。 第2楽章はワルツ。西本はアンコールにもワルツをもってきたように、ワルツに関する指揮はかなり上手いと思う。旋律の流れは靴底がフロアを滑るようにであり、西本がまるでフリフリのドレスを着た女性と踊っているかのように見えた。w 第3楽章。私の席からはよく見えなかったが女性のイングリッシュホルン奏者の音色は素晴らしかった。女性らしい色気と艶がある音色でうっとりである。この1〜2年で聞いた『幻想』のイングリッシュホルンでは一番と言っても過言でない出来であり、文句なしにこの日のMVPは彼女であった。 第4楽章。第1楽章で押さえていた弦の響きがここでは全開になる。 第5楽章。下手奥におかれた鐘の響きがかなり大きい。最初はオケの音を消してはしまわないかと危惧したが、次第にこれがことのほか気持ちいい。そして、最後のロンドへのオケ全体の響きも悪くはなかった。
N響を聴くならオーチャードかサントリーで 私は現在N響のBプロ(サントリーホール)とCプロ(NHKホール)の定期会員になっているが、Cプロはできることならオーチャードで公演してもらいたいと思っている。もし、オーチャードに移ると「開演前の室内楽」が聴けなくなるという問題が起きるが、しかし余りにもNHKホールとオーチャードでは音が違いすぎるのだ。今回もそれをまざまざと思い知らされた。 演目(※アンコール曲) 1曲目。ブラームスの協奏曲や変奏曲はどれもが交響曲的である。このヴァイオリン協奏曲も壮大にして牧歌的なテーマをもった交響曲的な曲。作曲時にブラームスは大ヴァイオリニストだったヨアヒムの助言を得て作られたもので、初演はブラームス指揮&ヨアヒム独奏によって行われたそうである。 竹澤恭子は凄い。1年半前に同じN響との共演でバルトークを聴いたが、あのときよりも身体は少しスリムになったものの、ヴァイオリンの音色は明らかにヴァージョン・アップされて迫力であった。何がどう凄いかと言えば、その研ぎすまされた音色はまるで剣のようであり、そのふくよかな香りはまるで芳醇なワインのようであり、その押し寄せてくる波長は思わず後ずさりをするようであり、そして、それらに「迫力」という言葉がもれなくついてくる。諏訪内晶子のちょっと貴族的な耽美な音色も好きだが、竹澤恭子の民族的な凄みある音色も好きである。 2曲目は私の好きなチャイコフスキー交響曲第4番である。今年3回目になる。(笑) 第1楽章。冒頭にホルンとファゴットを軸とした木管金管陣が第1主題を高らかに奏でる。続いて、ヴァイオリンをはじめとした弦が同様に第1主題を奏でる。しばらくして、アンダンテに入り、弦主体の明るい第2主題に入っていくが、この弦の響きが素晴らしい。とてもNHKホールでは聴くことができない。この弦の音を目をつぶって聴いていたら、日本のオケか海外のオケが解らない。N響ほど重厚にして統率感に満ちた弦の音色を出せるオケは残念ながら日本にはないと思う。この音を聴くだけでもオーチャードでN響を聴く価値はあると思う。 尾高忠明の指揮はいつものように的確で堅実である。決してオーバー・アクションをしたりしない。また、自己陶酔するかのように溺れている感じもしない。しっかり第三者的姿勢も忘れずに、チャイコフスキーを自分なりに表現しようとしている。 第2楽章。オーボエ(青山聖樹)が牧歌的な主題を色鮮やかに吹いていく。これはファンタスティックというよりマーヴェラスとかゴージャズと言ってもいいもぐらいの艶があった。ヴァイオリン協奏曲の第2楽章でも、彼は優美な音色を奏でていた。この日の彼はもうホームランを連発したような出来で、この日のMVPは間違いなく彼であろう。そして、この彼の音色もおそらくNHKホールでは聴けないであろう。そして、この第2楽章に入ってから、ヴィオラの次席に座っているヴィルフリート・シュトレーレの存在感が大きくなっていく。その弾きぶり、身体の動かし方は首席の佐々木亮を指導しているように見えてならない。おそるべし、ベルリン・フィルだ。(笑) 第3楽章。ピチカード奏法による楽章。ここでも弦のメンバーは一致団結した鮮やかな音色を響かせる。そして、私の視線はどうしてもヴィオラ陣にいってしまう。シュトレーレはここではもう完全に首席状態で後ろにいるメンバーがそれに見事についていく。あと中盤より入ってくる木管金管陣の音色のピチカード的音色も思いっきり弾けていて心地よい。なかでも、ピッコロ(甲斐雅之)の音色がとても印象に残った。 第4楽章。第3楽章から雪崩れこむように入っていく。いろいろな舞曲が奏でられるロンド形式のめまぐるしい楽章であり、リズミカルにして荘厳なフィナレーレである。この日のN響は木管も金管もまったく乱れない。金管陣によるファンファーレは鮮やかであり、普段聴く数倍華やかな音色だった。やはりホールのせいなのだろうか。 今年の1月にオーチャードでN響のロッセン・ミラノフ指揮によるチャイコフスキーの第6番「悲愴」を聴いたときも思ったが、あまりにも音が違いすぎる。私が次にオーチャード定期を聴きに行く予定は来年4月の小山実稚恵によるショパンのピアノ協奏曲第1番とブラームス交響曲第4番だが、その前に1月 31日のラドミル・エリシュカ指揮によるドヴォルザーク第8番も行こうかと迷いはじめている。そして、来年はCプロ会員を辞めて、オーチャード定期に移ろうかとまで思い始めている。
日本フィルの“鉄板レース”プログラム 演目(※アンコール曲) 定番中の定番というか、競馬で言えばガチガチの鉄板レースともいうべきプログラムである。こうした時は予想に反して、大穴になったりして馬券を千切って宙に舞わせたりするものだが、コバケン&日本フィルは予想を覆すことなく、配当金は安いながらもとっても楽しい演奏をしてくれた。 1曲目。ウォーミングアップかと思いきや、コバケンは冒頭から指揮棒を激しく振り、馬ならぬオケを走らせる、走らせる。普段は大人しいオケのメンバーも激しく鞭打たれたせいか、演奏の方は少し暴走気味ではあるが、それぞれのお顔はなぜか楽しそう。曲を聴いているというよりも、コバケンと日本フィルの信頼関係を思い知らさせる10分間であった。 2曲目。小川典子のピアノ協奏曲を聴くのは3回目。これまではショパンとラフマニノフの協奏曲を聴いているのだが、正直あまり良いイメージがない。というのも、彼女のピアノはあまりにも理性的で遊びというかゆとりを感じないからであった。ところが、今回は違った。まるで水を得た魚のように、力強くそして歯切れ良くベートーヴェンの世界を奏でていく。 コバケンの指揮も定番通りに、ピアノがないときはオケを気分良さそうに煽り、コンチェルトの部分ではピアニッシモにしてピアノを引き立てる。オケのなかでもっとも目をひいたのがホルンの2人(福川伸陽と村中美菜)。「皇帝」ではピアニストを楽にさせるというか、聴衆を癒さす旋律を奏でるのはホルンなので、この2人の出来次第がピアニストばかりでなく曲全体の善し悪しを左右する。2人の見事な音色のサポートもあったせいか、小川典子は鍵盤への集中力も高く、緊張感溢れながらもびのびと弾いていた。ブラヴァー! 休憩を挟んで3曲目に入る前に、コバケンが舞台袖においてあるピアノを弾きながら「運命」のレクチャー。「運命」と「トルコ行進曲」の主題を比較したり、ゲーテとベートーヴェンにまつわるエピソード(メンデルスゾーンがでてくる)を解りやすく説明。コバケンならではのサービス精神である。 3曲目。ここは完全にコバケン節炸裂でコバケン・ワールド。コバケンがこの交響曲第5番を指揮すると、曲のタイトルは「運命」でなく、交響曲第5番「独唱付」(唸る)になる。(笑)みなとみらいホールの2階席後方の席にいても、コバケンの歌声というか唸り声は聞こえてくる。いや〜、やっぱりコバケンは楽しい。ワンダフルです。そして、アンコールもこれまた定番中の定番。帰り際のお客さんたちの背中がみんな笑顔のように見えた。
N響によるタン・ドゥンの日本初演2作品 タン・ドゥンは現在世界から最も熱い視線を浴びている作曲家の1人。というのも、今回の演奏される「マルコ・ポーロの4つのシークレットロード」の世界初演がベルリン・フィルで、ピアノ協奏曲「ファイア」がニューヨーク・フィルであったことを考えれば、彼がどれほど注目されているかが解るだろう。 演目 1曲目。結論から先に言うと、この日の演奏ではこれが一番良かった。タン・ドゥンは作曲者として注目されているが、指揮者としても一流だと思う。彼の指揮は非常に情熱的であり、統率感あふれる演奏を目指している。このために、N響の弦の音が霧を吹きかけた相撲のフンドシのように(笑)引き締まった演奏なっていた。たまにはこうした華麗とか優美というのではなく、緊張感に満ちあふれた演奏も聴くのも楽しい。 この曲はバルトークがブダペスト市成立50周年記念音楽祭のために書かれたものだが、「中国の不思議な役人」を書いたあとだけに、彼の祖国であるハンガリー的な民族的音楽というようも中国的色彩感が強く、タン・ドゥンにはぴったりであった。というよりも、彼が意図的に中国的な演奏にしたのかもしれない。もしそうであったとしたら、それに応えたオケを讃えるべきであろう。 このバルトークの演奏後、タン・ドゥンが2曲目と3曲目の自作についてに説明した。 2曲目。タン・ドゥンのスピーチ中に、舞台では指揮台をコの字のように囲むように12人のチェリストのための椅子が用意される。そして、12人のチェリストはオケのメンバーより遅く、ソリストのような形で拍手に迎えられて登場。曲は組曲となっているが、どことなく交響曲のようにも感じる。(正直、組曲と交響曲の違いがいまだによく解らない) 第1曲。マルコポーロがヴェニスを出発するところを描く。お、これは傑作ではないかと思うぐらいの素晴らしい出来。打楽器とチェロやコントラバスの使い方がうまい。アドリア海から地中海に向かう船の姿をいかんなくイメージさせてくれた。 第2曲。中近東の市場の雑踏を描く。軽快なスケルツォのメロディでどことなくアラビア風だが、私には今ひとつイメージを抱かせてくれなかった。このあたりから、曲全体の雲行きがおかしくなってくる・・・。 第3曲。インドの音階であるラーガを描くために、12人のチェリストに即興演奏をさせる。事前のスピーチでタン・ドゥンは「12という数字は干支とであり、12ヶ月であり、それぞれの個性がある」と強調した。ところが、この12人の即興があまりにも長過ぎで間延びをしてしまい、私の右隣に座っていた親子などはパンフを見たり、チラシを見たりで完全に集中力を欠いていた。ここは12の個性を描くというより、3人ずつによる四季を描くでもよかったのかもしれない。ただ、インドに四季はあるのかなぁ・・・。 第4曲。中国に入って紫禁城へ到達するまでを描く。第1曲のヴェニスを出港したときのような音階から始まり、打楽器やピアノをうまく使い、中国の壮大さと荘厳さを表現しようとしている。ただ、少し力が入りすぎている気配がありすぎで、胡弓の響きを思わさせる美しいメロディでも入れて、北京という都市の華やかなイメージを抱かせてほしかった。 この曲の全体なイメージを最後に書かせてもらうと、現代音楽としは最高レベルの出来だと思う。ただ、もう少し簡略化するなり、印象に残るような旋律が欲しかった。 3曲目。この世界初演は今年の4月でニューヨークで行われたもので、ピアノはランランだった。曲の印象も現代音楽とジャズを融合させたようなもので、いかにもランラン向きという感じで、残念ながら小菅優には不向きであった。というのも、曲の後半部分はパーカッションが大活躍で、ピアノの音色は完全に埋没してしまい、ピアノ協奏曲というよりパーカッション協奏曲という感じだった。 それにしても、タン・ドゥンは打楽器の使い方がうまい。次はぜひともパーカッションのための協奏曲を書いていただきたい。
N響定期演奏会と開演前の室内楽 一昨日(19日)、台風が近づくなかNHKホールでのNHK交響楽団第1626回定期演奏会に行ってきた。指揮はハンガリー人のペーテル・エトヴェシュ。ヴァイオリンは諏訪内晶子。ペーター・エトヴェシュは1944年トランシルヴァニアルーマニア(当時はハンガリー、現在はルーマニア)生まれの作曲家であり指揮者。 演目 この日の私のお目当ては定期演奏会より開演前の室内楽。というのも、出演がオーボエ池田昭子、ハープ早川りさこ、ヴァイオリン大宮臨太郎という私のご贔屓筋トリオだったからである。演目はベルリオーズのオラトリオ「キリストの幼時」のトリオと、ドップラーの「アンダンテとロンド」の2曲であった。 1曲目は3人が少し丁々発止しずきたせいか、それとも、大宮のヴァイオリンの音色が冴えすぎたせいか、あまり音が溶解しあっていなかった。ところが、2曲目はこれぞ究極の室内楽ともいうべき、甘い珠玉の音色を奏でていた。特に後半部のロンドは優美にして快活感があり、これまで何度も聴いてきた「開演前の室内楽」のなかでも屈指の演奏だったのではないだろうか。時にはこうした出色の室内楽をN響アワーでやったらいいと思うのだが・・・。 さて、定期演奏会である。舞台配置がなんか妙である。 1曲目。弦も管もみんなほぼ客席に正体するような正面切りで並んでいる。ビッグ・バンド形式といった趣きである。演奏は確かにバッハの旋律なのだが、バロック調の色彩感はかなり省かれていて、いわゆる教会的というか宗教色な音色ではない。バッハやハイドンが不得手の私にとってもすんなり聴くことができる演奏だった。 2曲目。2003年2月1日に地球に帰還中だったスペースシャトル「コロンビア号」の事故で亡くなった7人の宇宙飛行士を追悼した作品。これまた変わった配置である。オケはひな壇にほぼ横1列で3列の配置。そして、後方にはいろいろな打楽器をちりばめたボックスみたいのが4つもある。ほかにもシンセサイザーもある。もっとも、興味深いのヴァイオリンの配置。メインの諏訪内は舞台センターにいるが、他の6人は上手と下手上段にあるカメラ位置に(上手が山口、下手が篠崎)、そして2階席の通路4カ所(上手から大林、俣野、酒井、大宮)と分かれて演奏する。つまり、ヴァイオリンの音だけでホール内をサラウンドさせる形式になっているのである。 さて、曲の方はいわゆる現代音楽なのだが、それでも諏訪内晶子の高音の響きが宇宙の無音の静けさを表しているようで興味深かった。また、打楽器陣の4人がその宇宙に潜む魔物を描いているようであった。この曲、演奏会で聴くのもいいが、狭い部屋でサラウンド形式の音響機材で聴いたら、もっともっと宇宙にいる実感がしそうである。 休憩をはさんで3曲目はバルトークの「オケコン」。バルトークというと難曲が多いことで有名な作曲家であるが、この曲はごくごく普通の曲(笑)である。初演は1944年12月1日にセルゲイ・クーセヴィツキー指揮のボストン交響楽団によって行われた。 楽曲は第1楽章「序章」、第2楽章「対の遊び」、第3楽章「悲歌」、第4楽章「中断された間奏曲」、第5楽章「終曲」で構成されている。そして、演奏形式はタイトルにもあるように、各パートの独奏があり、その名のとおり「管弦楽のための協奏曲」になっている。というより、「いろいろな管弦楽による協奏曲」である。 第1楽章から第4楽章にかけては、バルトークらしく民族音楽的な感じで、非常に淡々として演奏だったが、最終楽章だけは協奏曲という感じはまったくなく、交響曲の最終楽章と同じようにエネルギッシュなメロディ展開になっている。これはおそらくアメリカに亡命したバルトークの妥協なのか、それともサービスだったのか。バルトークにはかなりの苦悩があったのではないだろうか。
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