クラシック音楽鑑賞記録(2008年11月〜12月)

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2008/12/17(水) サントリーホール   デュトワとN響による名曲3点盛り

2008/12/16(火) サントリーホール   明暗分かれた都響定期演奏会

2008/12/12(金) NHKホール     デュトワとN響の討入り

2008/12/08(月) NHKホール     諏訪内晶子&フィルハーモニア管@NHK音楽祭

2008/12/06(土) NHKホール     ストラヴィンスキーのバレエとオペラ音楽

2008/12/02(火) サントリーホール   ゲルギエフ&ロンドン交響楽団

2008/11/21(金) NHKホール     有名ではないが名曲ばかりのN響定期

2008/11/10(金) サントリーホール   ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管

2008/11/07(日) NHKホール     サンクトペテルブルク・フィル@NHK音楽祭

2008/11/05(木) 東京オペラシティ   テミルカノフ&サンクトペテルブルク・フィル

CONTENTS

デュトワとN響による名曲3点盛り

先日(17日)、サントリーホールでのNHK交響楽団第1636回定期公演に行ってきた。指揮はシャルル・デュトワ。ピアノはユジャ・ワン。曲目はシベリウス、ラフマニノフ、チャイコフスキーの名曲3点盛り。第九を除いては今年の聴き納め。

ユジャ・ワンは1987年生まれ。北京中央音楽学院でピアノを学んだ後、フィラデルフィアのカーティス音楽院でゲイリー・グラフマンのもとで学ぶ。その間にいくつものコンクールで優勝もしくは入賞している。2006年にはアメリカの主要オーケストラと共演。2007年1月にN響とのプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番で共演。デュトワお気に入りの若手ピアニストらしい。

演目
シベリウス/組曲「カレリア」
ラフマニノフ/パガニーニの主題による狂詩曲
  〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第5番
《19時00分開演、21時00分終演》

1曲目。こんな素晴らしい『カレリア』を聴いたのは初めて。演奏会の初っぱなの曲からウルウルしてしまったのもおそらく初めてである。第1曲の『間奏曲』。出だしのホルンがちょっと躓いたものの、後は全体にファンタジーな世界を漂わせていく。第2曲は『バラード』。ここはN響の弦が哀愁漂う香りをなんともいえない音色で奏でて、北欧の風景を浮かび上がらせていく。先日の『惑星』のときも思ったが、N響の弦の統一感ある音色は本当に美しい。ベルリン・フィルの荘厳な音色、ウィーン・フィルの優美な音色、フィラ管のドライブ管ある音色などにも負けず劣らない。艶やかな弦の音色は世界レベルである。第3曲は『行進曲風に』。デュトワはオケをステップでもさせるかのように軽やかに導いていく。それに乗せられるかのように私の心も踊り跳ねていってしまう。デュトワの少し鼻高々にした姿勢の指揮ぶりも滑らかで、ほぼパーフェクトな演奏だった。トレビア〜ン!

2曲目。ユジャ・ワンの指先の動きは機械よりも早く、それでいて正確無比だ。凄いテクニシャンの持ち主だ。その彼女を引き立てるべく、指揮もオケも彼女と正々堂々向き合って勝負していく。こうしたちょっと挑発的なバックを楽しむかのように、彼女の演奏も時間とともに熱を帯びていく。この曲は本来は甘美な旋律が多く、メランコリックに奏でる人が多いが、ユジャ・ワンはそんなことはお構いなしに、自分の世界を歯切れよく思いっきりオケ、そして観客にぶつけていく。それはひとつ間違えばヒステリックなものになってしまうが、デュトワとN響を信頼しているからだろうが、そこまで彼女は踏み入れない。まだまだ粗削りな21歳だが、表現力に磨きをかければ、まだまだ底を見せていないだけに、ランランと共に中国を、いや世界を代表するピアニストになる可能性にみちている。是非とも近いうちに、また日本のオケと共演してもらいたい。

3曲目。N響のチャイ5を聴くのは何回目だろうか。最近ではアシュケナージとサンティ、その昔はサバリッシュだったかホルスト・シュタインで聴いた記憶がある。このチャイ5は間違いなく演奏会で一番多く聴いている曲であり、今年もハーディング指揮の東京フィル、ムーティ指揮のウィーン・フィル、テミルカーノフ指揮のサンクトペテルブル・フィルと聴いていて、今回が4回目である。

さて、演奏であるが、あまり他のオケと比較するのはよくないかもしれないが、この日のN響の演奏は今年聴いたなかでは、サンクトペテルブル・フィルにはおよばないものの、ウィーン・フィルや東京フィルよりもインパクトはあった。デュトワとN響の信頼関係をまざまざと見せつけられた演奏でもあった。

来年もチャイ5は2月に読響(指揮:小林研一郎)、3月に都響(指揮:エリアフ・インバル)で聴く予定になっていて、私のチャイ5好きはまだまだ続きそうである。

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明暗分かれた都響定期演奏会

昨日(16日)、サントリーホールでの東京都交響楽団第672回定期演奏会に行ってきた。指揮はステファヌ・ドゥネーヴ。ピアノは小山実稚恵。演目が有名な大曲2曲ということもあるためかチケットは完売。

ステファヌ・ドゥネーヴは1995年にパリ音楽院を首席で卒業したフランス人。ゲオルグ・ショルティのアシスタントとして指揮活動を始め、これまでにパリ管、チョコフィルなどを有名オケを指揮していて、若手指揮者の注目株として言われているそうである。2005年からはロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の音楽監督を務めている。ちなみに、身長は2メートル近くあり、私はこれほど大男の指揮者はかつて見たことがない。

演目
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番ニ短調
  〜休 憩〜
ベルリオーズ/幻想交響曲
《19時00分開演、21時10分終演》

1曲目。プログラムに小山実稚恵は高校時代からラフマニノフのレコードを毎日のように聴いていたと書いてあった。私も彼女が弾いているラフマニノフのCD(モスクワ放送交響楽団との共演)を持っているし、これまでに何度も生のラフマニノフの演奏を聴いている。

しかし、今回のラフマニノフは残念ながら心に響くものを感じられなかった。第1楽章、彼女はいつものように、叩く、叩く、叩く、叩きまくる。ところが、そのあとの滑らかに運ぶ指に浮遊感ともいうべき心地よさがない。左手は飛んだり撥ねたりしてリズミカルなのだが、右手がどことなく置きにいったようなベタな音をしばしば出してしまう。また、高音部ではミスタッチもあり、彼女自身も身体のノリが普段より良くない。加えて、オケが彼女の演奏を支えるような音を奏でていない。特にヴァイオリンの響きは弱く、ラフマニノフ特有の何処か湿っぽい重厚さがまったく感じられず、凡庸でならなかった。

第2楽章に入ると、ここはピアノ主体の楽章ではあるが、オケの音はもう全く耳に入らないぐらいで、ピアノ協奏曲としての体をなしていなくなっている。そのために、第3楽章では小山のピアノも独りよがりな演奏になってしまい、悪循環に入ってしまった。このような演奏をコントロールできないというか、指揮をできないステファヌ・ドゥネーヴにかなり失望の感を否めなかった。

2曲目。第1楽章の出だしがフラットな感じで、『幻想交響曲』がもつ憂鬱さや情熱さが感じられない。これは指揮者とコンマス(矢部達哉)が意図したものだろうかと疑いはじめる。それは第2楽章に入っても変わらず、舞踏会の華やかなさを淡々と表現するだけだった。ここまでくると、今日は2曲ともハズレだったのかぁと思ってしまう。

しかし、第3楽章に入るとガラッと様変わりした。イングリッシュホルン(Who?大植圭太郎?)と舞台裏のオーボエの掛け合いが素晴らしい音色をホールに漂わせ、聴衆の心をグッと『幻想』の世界へ引き込んでいく。そして、第4楽章ではチェロとコントラバスの低音が腹の底へと響かせていき、断頭台への階段を重苦しく表わす。そして、その勢いは第5楽章まで見事に継続していき、虚しい弔鐘の音と怒りにも似た大音響の叫びで終結していった。

終演後、イングリッシュホルン奏者は指揮者からいの一番で労われたて、観客の拍手に応えていたが、フルートとオーボエの首席から握手をされて嬉しそうだった姿が印象的だった。彼の活躍をなくしては、明暗どころか暗々の演奏会であった。

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デュトワとN響の討入り

昨日(12日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1635回定期公演に行ってきた。指揮はシャルル・デュトワ。女声合唱は二期会合唱団。

素晴らしい演奏会だった。一足早いクリスマス・プレゼントをもらったような気分になり、帰りのお酒も美味かった。(笑)

演目
フランク/交響詩「アイオリスの人々」
ドビュッシー/夜想曲
 第1曲 雲
 第2曲 祭
 第3曲 シレーヌ(海の精)
  〜休 憩〜
ホルスト/組曲「惑星」
 第1曲 火星 戦争の神
 第2曲 金星 平和の神
 第3曲 水星 翼を持った使いの神
 第4曲 木星 快楽の神
 第5曲 土星 老年の神
 第6曲 天王星 魔術の神
 第7曲 海王星 神秘の神
《19時00分開演、20時55分終演》

1曲目。セザール・フランクが残した交響詩5つのうちの一つ。曲のイメージは古代ギリシャの都市であるにもかかわらず、主旋律を半音階にしているせいか全体的に物悲しい感じの曲である。そんな落ち着いた曲なのに、会場のあちらこちらから咳がおこり、集中して聴くことができなかった。普段なかなか聴けない曲だけに、なんか損をした気分であった。

2曲目。第1曲目の『雲』の冒頭、メランコリックな旋律のなかをイングリッシュ・ホルン(池田昭子)がドビュッシー特有の哀愁漂う音色を奏でる。池田は1月のシベリウスの「トゥオネラの白鳥」での吹奏も素晴らしかったが、今回も美しい音色を響かせてくれる。彼女はひょっとして日本一上手いイングリッシュ・ホルニスト? そして、コンマス(堀正文)のこれまた哀愁を帯びた音色が物悲しく彷徨する。フランス音楽に精通しているデュトワは、さすがにこの曲を得意にしているようで、いつも以上に格調高くそして凛々しくタクトを振っていく。第2曲目の『祭』はどことなくレスピーギのような行進曲風なのだが、それをデュトワは金管や木管に的確な指示を出して見事に纏め上げていく。そして、第3曲目の『海の精』では、二期会の女性合唱の波打つような歌声をグラーデションのように会場に響かせ、弦やその他の楽器の音色を自然なエネルギー音のように表していく。

デュトワの真髄を十二分に聴かせてくれた美しい演奏だった。

3曲目。約1時間におよぶ大曲である。普段は沈着冷静なデュトワが冒頭の『火星』から髪を少し乱しながら、大いにオケを煽動する。その姿はまるで討入りをする赤穂浪士のときの大石内蔵助のような鼓舞に見えてしまう。(笑)それに応えて、四十七士ならぬ100人編成のオケも統一感に満ちた音色をNHKホールの隅々まで轟かせていく。

そして、有名な第4曲の『木星』のときの弦の一糸乱れぬ演奏は、まるでカラヤンとベルリン・フィルの映像を観ているような揃い方で(あ、これは褒め言葉にはならないか w)、迫力ある音色を押し出していき、N響の弦が間違いなく世界トップレベルということを再認識できた。

終演後、デュトワは木管や金管の首席たちを立たせて労っていたが、私は今回の演奏ではティンパニーの二人(植松透と石川達也)、オルガン(いつも居られる少し年配のおねさん)、ハープ(早川りさ子と客演)ら打楽器陣に一番大きい拍手を送りたい。

ちなみに、2日目(本日)の公演はNHKホールにもかかわらずチケットは完売している。なお、今回の演奏会でヴァイオリンの根津昭義さんがN響を定年退職する。で、彼のプロフィールを見てびっくり。東京芸術大学を出る前に、東京大学理学部物理学科を卒業している。もしかすると、益川敏英さんや小林誠さんみたいに、ノーベル賞を取っていた人だったのかもしれない。w

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諏訪内晶子&フィルハーモニア管弦楽団@NHK音楽祭

一昨日(8日)、NHK音楽祭2008のフィルハーモニア管弦楽団の公演に、84歳になる母親と一緒に行ってきた。指揮はウラディーミル・アシュケナージ。ヴァイオリンは諏訪内晶子。プログラムはシベリウスの名曲ばかり。そして、この日は偶然にもシベリウスの誕生日でもあった。

演目(※アンコール曲)
シベリウス/交響詩「フィンランディア」
シベリウス/バイオリン協奏曲ニ短調
※バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番BWV1005 ラルゴ
  〜休 憩〜
シベリウス/交響曲第2番二長調
※シベリウス/悲しいワルツ
《19時00分開演、21時15分終演》

1曲目。フィンランドの第2国歌とも言われる曲。

アシュケナージはオケをゆっくり歩ませるかのように音を奏でさせていく。上手トロンボーン前に配置されたティンパニーのおじさんがアシュケナージとアイコンタクトしながら、オケをリードしていく。ただ、弦の響きは何処となくくすんでいるというか、透明感ある音色ではない。濁っているというわけではないのだが、どことなく渦を巻いているようで、前向きな音色には聴こえない。「フィンランディア」といえば、どうしても勇猛果敢な反骨精神の音色のイメージがあるが、アシュケナージはそんな精神的な色彩を完全に払拭して、北欧の大地を表現するかのような演奏をする。う〜ん、なんか物足りなかった・・・。

2曲目。シベリウスは若い頃にヴァイオリニストになろうと思っていた。それなのに、彼が残したヴァイオリン協奏曲はこの曲だけである。

諏訪内晶子のヴァイオリンはいつ聴いても美しい。彼女が音を奏でると、会場には一瞬にして緊張感というバリアが張りつめ、聴衆は息を飲み込み、彼女の奏でる音に耳を傾ける。しかし、この日の彼女の演奏にはシベリウスが言う「フィンランドの寒空を悠然と飛ぶ鷲」のようなダイナミズムがあまり感じられなかった。それでも、ストラディバリウス・ドルフィンのしなる音色を聴けたので満足であった。ちなみに、母親の感想は「短調の曲を40分以上も弾いていたら、体重が1〜2キロは減っちゃうね」であった。

3曲目。シベリウスの曲というと、どうしても音に温度を重ね合わせてしまう。特にこの交響曲第2番はこれまでに何度も聴いているが寒いイメージがある。しかし、この曲はイタリアでほとんど書かれているので、本来は寒くはなく暖かいはずである。それをアシュケナージは表現したのであろうか、寒いとか暖かいといった“温度”などを全く感じさせず、終始一貫して“光”の陰陽、明暗を表わすような演奏をした。これには正直戸惑わざるをえなかったが、これがこの曲の本来の姿なのかもしれない。ただ、NHKホールという会場のせいかもしれないが、光と音の洪水はいいのだが、その演奏は少し拡散しているようでならなかった。で、母親の感想は「なんか聴いているうちに、違うことばかり考えてしまい、なんか集中できなかったけど、昔の思いがけないことを思い出したから、それはそれで良かったのかも」であった。

この日のアシュケナージとフィルハーモニア管の演奏は、これまで私が抱いていたシベリウスの概念をいろいろと裏切ってくれた。ただ、それが満足のいく裏切りであったかというとそうでもない。それは下記のテレビ放送で再確認してみたいと思う。個々の奏者のなかでは前述したティンパニーのおじさんが素晴らしかった。この人を抜きにはこのオケはなりたたないのではないだろうかと思うぐらい、キーパーソンなのではないだろうか。

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ストラヴィンスキーのバレエとオペラ音楽

一昨日(6日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1634回定期公演に行ってきた。指揮はシャルル・デュトワ。先日のウィーン国立歌劇場による『ロベルト・デヴェリュー』(演奏会形式)に刺激されて、ちょっとお忍び(=予定外)で聴きに行ってしまった。というのも、曲目がバレエとオペラを主題にしたものであり、共に全く知らない初めて聴く曲という理由もあった。

演目
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」
  〜休 憩〜
ストラヴィンスキー/オペラ・オラトリオ「エディプス王」
  エディプス王:ポール・グローヴズ(テノール)
  ヨカスタ:ペトラ・ラング(メゾ・ソプラノ)
  クレオン/伝令:ロベルト・ギェルラフ(バリトン)
  ティレシアス:デーヴィッド・ウィルソン・ジョンソン(バス・バリトン)
  羊飼い:大槻孝志(テノール)
  語り:平幹二朗
  合唱:東京混声合唱団
《18時00分開演、19時50分終演》

1曲目。弦楽奏だけという珍しいバレエ音楽。この曲、非常に洗練された旋律を奏でるのだが、あまり抑揚がないのでまったく劇的な雰囲気がない。これはおそらくバレエの振付師もしくは演出家泣かせの曲であろう。それゆえだろうか、ストラヴィンスキー『春の祭典』のバレエ公演はいくらでもあるが、このバレエ曲が演奏されるバレエ公演など聞いたことがない。

しかし、この曲、コンマス(マロ様こと篠崎史紀)をはじめ、第二ヴァイオリン(永峰高志)、ヴィオラ(店村眞積)、チェロ(木越洋)とそれぞれの首席たちのソロ演奏があったり、コンマスと次席(大宮臨太郎)のデュエットがあったりと、弦楽およびマロ様ファンにとっては嬉しい曲ではなかったのではないだろうか。そのせいかどうか解らないが、私の席の周囲のおばさま方はみなさん、心地よい世界に入られていた。w

2曲目。「エディプス王」とはもちろん有名なギリシャ悲劇「オイディプス王」のことである。

平幹二朗の語りと男性だけの東京混声合唱団の調和のとれた歌声が、ギリシャ悲劇最高傑作と言われる世界に導いていく。そして、ソロの歌手たちも身振り手振りと劇的な動作はないにしろ、堅実にギリシャ悲劇の世界を演じるような歌声をあげていく。特にエディプス王役のポール・グローヴズの甘い歌声は非常に情感がこもっていて、おそらく彼は演技力そのものもあるのではないだろうか。ちょっと舞台そのものも目にしたくなってしまった。

シャルル・デュトワはこの曲をかなり熟知しているようで、語りや歌手たち、そして合唱団、もちろんオケに対しても的確な指示を送っていて、余裕すら感じられた。そして、N響の演奏も脇役に徹するかのように目立たず乱れることなく歌声を支えていた。

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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団

昨日(2日)、サントリーホールで行われたロンドン交響楽団の来日公演に行ってきた。指揮者はワレリー・ゲルギエフ。ヴァイオリンはワディム・レーピン。プログラムはオール・プロコフィエフ。

ワディム・レーピンは1971年シベリア西部のノヴォシビルスク生まれ。17歳でエリーザベト王妃国際コンクールに史上最年少優勝。以後、ベルリン・フィルをはじめ世界の一流オーケストラと共演。ロシアを代表するヴァイオリニストの一人である。使用楽器は1736年製グァルネリ・デル・ジェス “Von Szerdahely”。

演目(※アンコール曲)
プロコフィエフ/交響曲第1番「古典交響曲」
プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調
※パガニーニ/ヴェニスの謝肉祭
  〜休 憩〜
プロコフィエフ/交響曲第6番
※プロコフィエフ/バレエ音楽「ロミオとジュリエット」より「モンタギュー家とキャピュレット家」
《19時00分開演、21時10分終演》

「女王陛下のオーケストラ」と言われるロンドン交響楽団だが、この日は「天皇陛下のオーケストラ」だった。しかし、可哀想なことに天皇陛下夫妻は前半を聴くことなく、後半だけであった。皇室行事が忙しいためか、それとも警備上の問題からかもしれないが、前半の「古典交響曲」を聴けなかったのはあまりにも可哀想であり、私はつくづく自分が平民である喜びを感じざるをえない。

1曲目。これまで何度もこの曲を聴いているが、これほど大胆な解釈はないのではないだろうか。「元気にして快活なイメージ」の曲が、実に滑らかにしてスムームズなのである。それは氷の上をすべる滑らかさではなく、絹の生地を撫でるようなとても心地よいなめらかさなのだ。ゲルギエフというと、私は昨年のマリンスキーでの大音響のイメージがあるのだが、ロンドン響では実に繊細で華麗な音を引き出している。この演奏にはある種の意表をつかれた思いで、逆に大いなる感銘をうけた。

2曲目。ヴァイオリン協奏曲のなかで、実は私がもっとも理解ができない曲。難解であるというより、構成がよくわからないのである。しかし、そんなことに関係なくワディム・レーピンの演奏は重量感があり、この難曲を自信堂々と弾きこなす。そして、その音色は重さと共に色彩感にも富んでいる。ただし、それは虹のようなバリエーションのあるカラフルさではなく、水墨画に見られるような淡彩にして明度が高い色彩なのである。それはおそらく彼が生まれもった民族性でもあり、また雄大な自然性によるものなのかもしれない。

3曲目。先日N響で聴いたショスタコーヴィチ交響曲第9番と同じように、ソ連当局による「ジダーノフ批判」でやり玉にあがった曲である。私は生で聴くのは今回が初めて。

第1楽章の全体に流れる旋律は、自然の果敢なさを形容しつつも、戦争およびの当局の弾圧による犠牲者への哀悼を示す鎮魂歌であり、第2楽章もその延長線上にある。ただし、第3楽章になると、交響曲第1番にも似たような軽快なリズムを展開するが、これも裏を返せば、犠牲者への「後はまかせろよ。安心しろ」と同時に当局への反骨心を表しているかのようでもある。

こうしたいわくつきの交響曲をゲルギエフとロンドン響は、民族性に満ちた情感たっぷりの演奏ではなく、芸術性を追求するかのような1音1音を大事にした演奏を行う。それは少し堅物的な学者肌のような感じがしたが、それだけこの交響曲がもつ主題が重たいのものだからだろう。

ロンドン響は個々の演奏者にこれといって目立った人はいないが、第3楽章で高らかに音色を轟かせてくれたホルンをはじめとした金管は華やかで艶やがある。さすがに「女王陛下のオーケストラ」といわれる由縁のオケであった。

最後に売られていたプログラムに興味深いことが書かれていた。プロコフィエフは1953年3月5日に61歳でこの世を去ったのだが、その日には独裁者スターリンも亡くなり、プロコフィエフの訃報はほとんど話題にのぼらず、音楽関係者たちもスターリンの弔問に行くしかなく、通夜初日の会葬者はたった2人だったという。

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有名ではないが名曲ばかりのN響定期

一昨日(21日)、NHKホールでのNHK交響楽団第1633回定期公演に行ってきた。指揮はイルジー・コウト。ヴァイオリンはヴェロニカ・エーベルレ。

イルジー・コウトは1937年生まれ。チェコを代表する指揮者の一人。ザールブリュッケン・オペラの音楽監督、ベルリン・ドイツ・オペラの首席指揮者、ライプツィヒ・オペラの音楽監督などを歴任。2006年よりプラハ交響楽団の首席指揮者の地位に就いている。チェコ・フィルも定期的に指揮している。ヴェロニカ・エーベルレは1988年12月南ドイツ生まれ。まだ19歳である。ドイツ期待の新星。

演目(※アンコール曲)
ドヴォルザーク/交響詩「真昼の魔女」
ドヴォルザーク/ヴァイオリン協奏曲イ短調
※イザイ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番より第1楽章
  〜休 憩〜
ショスタコーヴィチ/交響曲第9番
《19時00分開演、20時45分終演》

まず最初に「開演前の室内楽」のショスタコーヴィチ「弦楽四重奏第7番嬰へ短調」が素晴らしかった。私は室内楽は得意でなく、なかでもモーツァルトのように優美で眠くなるような弦楽四重奏があまり好きでない。ところが、この日の弦楽四重奏はめちゃくちゃに楽しめた。ショスタコーヴィチ特有の不協和音と和音が混同する躍動感がなんとも心地よい。藤森亮一(チェロ)の不気味な響き、飛澤浩人(ヴィオラ)のしっとりとした音色、そして永峰高志と船木陽子の二人のヴァイオリンの掛け合いなど、聴きどころ満載だった。司会のお姉さんは「ショスタコーヴィチを弦楽四重奏を15曲作曲したそうですが、そのなかでも一番の出来と言われている」と言っていたが、まさにそうではないだろうか。どことなくチェロ協奏曲第1番に似ている感じ(同時期に作曲している)だが、あの曲をグッと凝縮したようであり、あっという間の10分余だった。

1曲目。全く初めて聴く曲。後から読んだプログラムの解説によると、魔女が幼い子供を生け贄にするという恐ろしい話なのだが、そんな内容を知らないで聴いていたら、魔女が真昼に森か林で動物たちと遊んでいて、突然豪雨にでも襲われて、魔女も自然には勝てないのかといった感じに聴けた曲だった。曲の内容を知っていても知らなくても、旋律もオーケストレーションも多彩で、知られざる名曲ではないだろうか。

2曲目。ヴェロニカ・エーベルレは日本初公演初日ということで少し緊張している様子。第1楽章は全体に少し音色が弱々しく、なかなかオケに乗れない。ところが、第2楽章に入るとホルン陣が彼女を見事に引き立てた。第1ホルン(松崎裕)と第3ホルン(今井仁志)のほぼハーフェクトな響きにエーベルレも緊張が解されたようで、自分を主張するかのようにノビノビと弓を動かす。第3楽章では完全にオケと一体化して、豊かな音色は冴え渡っていき、その実力を魅せてくれた。プログラムには「ムター以来」の存在と書いてあったが。

3曲目。ショスタコーヴィチの戦争三部作のひとつ。第7番「レニングラード」と第8番「スターリングラード」は大曲だが、この曲は約25分と短い。そして、この曲はソビエト当局を批判的に捉えている。

第1楽章。トロンボーン(新田幹男)の響きをアクセントに、ピッコロ(菅原潤)が軽い行進曲な旋律を奏でていく。それに呼応するかのように、弦も控えめながらというか何かをあざけ笑うかのように小刻みに旋律を奏でる。

第2楽章。木管、金管のソロが見事な音色が奏でる。クラリネット(松本健司)をリードに、フルート(読響の倉田優)、ファゴット(岡崎耕治)がそれぞれメランコリックな雰囲気を醸し出す。

第3楽章は戦意高揚から戦意喪失へ変貌を遂げていく萎えた楽章。第4楽章はもう完全に意気消沈して、ファゴットが悲しい旋律を奏でる。第5楽章になって凱旋行進曲風の旋律が登場するが、あっという間に見事に終曲する。

それにしても、なんかとっても戦争批判とアイロニィに富んだ曲である。それゆえに、ショスタコーヴィチはこの後にジダーノフ批判の標的になる。ショスタコーヴィチの交響曲と言えば、第5番「革命」や第7番「レニングラード」が有名であるが、この9番も小曲ながらも名曲である。そして、もしこの曲に通称をつけることが許されるならば、私は「終焉」か「終戦」と名付けたい。

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ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

昨日(10日)、サントリーホールで行われたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日公演に行ってきた。指揮はマリス・ヤンソンス。当初のプログラムではドヴォルザークの交響曲第8番でなくブラームス交響曲第3番だったのだが、先日のサンクトペテルブルク・フィルと同じように変更になってしまった。

演目(※はアンコール曲)
ドヴォルザーク/交響曲第8番ト長調
  〜休 憩〜
メンデルスゾーン/交響曲第4番イ長調「イタリア」
ラヴェル/ラ・ヴァルス
※ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第10番ホ短調
※J.シュトラウスU/ポルカ・シュネル「ハンガリー万歳!」
《19時00分開演、21時15分終演》

世界三大オーケストラという言葉がある。一般的にはベルリン・フィル、ウィーン・フィル、そして、このコンセルトヘボウ管と言うようである。もちろん、私同様に異論があるだろうが、そのひとつであるコンセルトヘボウ管を初めて聴いた。

1曲目。とにかく美しい演奏。明瞭にして透明感のある音色は魅惑的である。金管(特にトランペット)木管(特に綺麗な首席フルートのお姉さん)の音を聴いていると、ああ、こんな音が出せるオケが日本にあればなぁ、などと思ってしまう。しかしながら、何か物足りない・・・。ドヴォルザークがもつ泥臭さというか民族性が感じられないのか、それともあまりにも音色だけを追求しすぎているのか、来日初日公演で気負いすぎているからだらろうか・・・。その理由はド素人の私にはとても解らない。

今年65歳になるヤンソンスの指揮は、常に笑顔を絶やさずオケと一緒に自分も楽器を奏でているかのようなスムーズさがある。オケを指揮するというようり、一緒に楽しんでいるような感じで、表現がおかしいかもしれないが、コンマスが指揮をしているように見える。

2曲目。メンデルスゾーンの「イタリア」は交響曲としては第4番になっているが、第3番の「スコットランド」より先に初演されているが、その出来に満足できなかったメンデルスゾーンが何度も改訂したために第4番になっているという曲。

ヤンソンスとコンセルトヘボウ管はここでも思いっきり明るく楽しく快活な音色を掲げる。1曲目に比べて小編成のオケだが、その音量も音色もほとんど変わらない。しかし、ここではセカンド・フルートの音色が音全体の調和を妙に崩すような抜けた音をだしていたのが気になった。

3曲目。この曲をプログラムの最後にもってきたということは自信があってのことだろう。ただし、演奏は大音量を奏でるだけで、ラヴェル特有の波をうつような色彩感ある響きが伝わってこない。切なくなるような美しい響きも聴こえない。こうなると、聴いている自分自身が切なくなってしまう・・・。

名曲だらけのプログラムの演奏会で、とても美しい音色を聴いた演奏会だったのだが、何か残るものが無かったというか、心を揺さぶる演奏ではなかった。なんかライブを聴いているというより、CDを聴いているような演奏会にすら思えてしまった。コンセルトヘボウ管ファンには申し訳ないが、私にはこのオケが世界三大オーケストラのひとつとは思えなかった。

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サンクトペテルブルク・フィル@NHK音楽祭

今回のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の来日公演はすべてチャイコフスキー・プログラム。チャイコフスキー好きの私にはたまらない。ということで、5日のオペラシティに引き続き、昨日(7日)NHKホールで行われたNHK音楽祭のサンクトペテルブルク・フィル公演へ行ってきた。指揮はユーリ・テミルカーノフ。ヴァイオリンは庄司紗矢香。

庄司紗矢香は16歳でパガニーニ国際コンクールに史上最年少で優勝。これまでにベルリン・フィル、サンクトペテルブルク・フィル、N響など国内外の主要オーケストラと共演している。使用楽器は日本音楽財団より貸与されている1715年製ストラディヴァリウス「ヨアヒム」。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/歌劇「エフゲーニ・オネーギン」からポロネーズ
チャイコフスキー/バイオリン協奏曲二長調
※ロシア映画『運命の皮肉』から“私の最愛の女はいずこへ”
  〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第5番
※エルガー/愛のあいさつ
※チャイコフスキー/バレエ音楽『くるみ割り人形』からトレパーク
《19時00分開演、21時20分終演》

1曲目。いきなりトランペットによるファンファーレの音が割れてしまう。加えて、弦をはじめとした他の楽器が全く融和しない。観客からの拍手もお情け程度のもとで、演奏会としての掴みは明らかに失敗だった。

2曲目。プロローグで第一ヴァイオリンが一糸乱れないの揃い方の音を奏でる。そして、庄司紗矢香はテミルカーノフの笑顔のサインと共に、可憐にしてファンタジーな音色が奏でていく。それを後押しするかのように、長髪にしてちょっと厳つい感じのコンマス率いる弦が、滑らかに調和された音を奏でる。華奢な身体の庄司からは、まるで音符マークの波が次々とうねっていくように流れる。これこそ、協奏曲という感じでソリスト、指揮者、オケが融和しながら、チェイコフスキーの優美でメランコリックな世界が描かれていった。

以前も書いたが、日本はヴァイオリニストの宝庫である。五島みどり、諏訪内晶子、竹澤恭子などキラ星の如く輝く女性ヴァイオリニストがいる。そして、庄司紗矢香も彼女らに並ぶ卓越した技術と感性の持ち主である。彼女が使う「ヨアヒム」は偉大なヴァイオリニスト・ヨーゼフ・ヨアヒム(1831年〜 1907年)が使っていた5挺のうちの1つであるというが、彼女は文句なしそれを扱うことに値する奏者である。ブラヴァー!

3曲目。私がこれまでコンサートでもっとも数多く聴いた曲はおそらくこのチャイコフスキー交響曲第5番(通称チャイ5)だと思う。先月もウィーン・フィルで聴いた。今後も来月(12月)はN響、2月には読響、3月にも都響で聴く予定になっている。(笑)

オケの編成が第一ヴァイオリンが18人〜コントラバスが10人という、つまり弦だけで70人もいる大編成。NHKホールという大きな会場を意識したからなのかもしれない。こうなると、爆音になってしまうのではないか危惧してしまう。というのも、昨年の音楽祭に登場したゲルギエフ&マリンインスキー管弦楽団はかなり攻撃的な爆音で耳鳴りがしたほどであった。しかし、この危惧は嬉しいことに徒労で終わった。

第1楽章。クラリネットの音と共に70人の弦が地の底から這い上がってくるような「運命の動機」と呼ばれる主題を響かせる。やはりコントラバス 10人の威力は凄い。お腹の底をゆらされるようである。テミルカーノフはゆったりと、そして、楽しそうに身体を揺らしながらオケを一点に集中させていく。

第2楽章。冒頭、恰幅のいい首席ホルンのおじさんは、オペラシティでの「悲愴」のときほどの冴えはないにしても、十二分に観客を魅了する音を奏でる。続いて、オーボエの透明感のある春光のような音色が冴えわたる。弦も崇高にして荘厳な音色をゆったりと轟かせていく。オケも観客も完全にテミルカーノフの掌中になっている。目を閉じれば、ここが日本でなくロシアだと思う人が何人もいる違いない。

第3楽章。ワルツである。『くるみ割り人形』の花のワルツほどインパクトはないが、このワルツはドリミィで心地よく聴くことができる。しかしながら、終盤に入っていくと例の「運命の動機」の旋律が高まっていく。チャイコフスキー、そしてテミルカーノフはこの好対象な旋律をうまく競い合わせている。見事な手腕としかいいようがない。

第4楽章。まず、主題の「運命の動機」が展開される。緊張感が走る。いかつい顔のコンマスの顔が一層厳しくなる。威厳に満ちた音色に徐々に変わっていく。そして、ティーンパニーの音を皮切りに、この曲最大のハイライトともいうべきシーンが展開されていく。木管金管がさみだれ式に主題が奏でていき、弦は遊園地のコーヒーカップか絶叫マシーンに乗っているかのように目まぐるしく波をうつ音を奏でていく。チャイコフスキーならではの悦楽の行進曲である。その音は大編成のオケにもかかわらず爆音というのではなく、洗練された重厚にして弾力性のある音色であった。ブラボー!ブラボー!

以前フィンランド放送交響楽団のシベリウスを聴いたときに、自国の作曲家を演奏するときの漲った誇りと自信に感服したが、今回のサンクトペテルブルク・フィルも全く同様であった。彼らにとってチャイコフスキーは英雄なのであろう。しかし、ロシアにはまだまだ数多くの素晴らしい作曲家がいる。次回来日するときは是非ともラフマニノフ、カリンニコフ、ボロディン、スクリャービンといった人たちの曲を取り上げてもらいたい。

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庄司紗矢香&テミカーノフ&サンクトペテルブルク・フィル

昨日(5日)、東京オペラシティで開かれたサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行ってきた。指揮は1988年からサンクトペテルブルク・フィルの芸術監督兼首席指揮者を務めているユーリ・テミルカーノフ。チェロはタチアナ・ヴァシリエヴァ。

まずはこのことを書かなければならない。オペラシティのコンサートホールへ入ってびっくり。というのも、客席にお客さんがまばらのである。客席は3割、いや2割ぐらいの人しかいない。その光景に目を疑わざるをえなかった。しばし、茫然である。いくらチケットが高いとはいえ、いくら実力があっても人気のないオケといえ、こんな悲惨な状態の客席を見たのは初めてである。これは明らかに招聘元(梶本音楽事務所)の興行的失敗であり、ちょっと先が思いやられた。

しかし、そんなことはすべてが危惧に終わり、最後は感動的なシーンで終わるコンサートだった。

演目(※はアンコール曲)
チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲
  〜休 憩〜
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」
※エルガー/「エニグマ変奏曲」からニムロッド
《19時00分開演、21時15分終演》

1曲目。舞台に入ってきた楽団員たちの表情はどことなく暗かった。誰もその観客数の少なさに驚いたからであろう。苦笑いを浮かべている人もいた。しかし、テミルカーノフが指揮台に上がったときには、その顔はみんな引き締まっていた。

「ロメオとジュリエット」といえば、多くの人がプロコフィエフの曲を思い浮かべるが、チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」も傑作である。テミルカーノフは大らかにして、しなやかにして、緩やかな身振り手振りの指揮である。その指揮から弦を荘厳にして大胆な音色を引き出し、木管金管からは華麗にして優美な音色を醸し出す。この曲はこれまでも2〜3回生演奏を聴いているが、今回はその傑作ぶりを思いっきり再認識させられた。

1曲目から場内は割れんばかり拍手とブラボーが響き渡った。観客は2〜3割しかいないのにである。

2曲目。チェロのタチアナ・ヴァシリエヴァは2001年の第7回ロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールで優勝したロシア人。使用楽器はフランスのルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー社から貸与された1725年ストラディヴァリウス製のVaslin。

この人、とっても上手いでなく美味い。テミルカーノフのまなざしと笑顔にアイコンタクトで応えながら、颯爽とチェロを奏でる。チェリストとしはちょっと華奢な身体だが、その音色はいつも好奇心旺盛で、高音は軽やかに低音は重くといった単純なものでなく、常に何かを探るような若さと勢いの音を奏でる。

今回の演奏ではテミルカーノフの優しさに包まれながらの演奏だったが、もっともっと激しい感情的なチョロ協奏曲を彼女で聴いてみたいと思った。ブラヴァー!

休憩後は「悲愴」である。

3曲目は感無量であった。これはあの場にいた人だけが共有するような演奏だったので書かないことにしておく。書くのは野暮というものである。

「悲愴」のあとは普通はアンコール曲はない。私自身もあまり聴きたい方ではないが、このときはなぜかアンコールを聴いてみたいと思ったので、「悲愴」の余韻を崩すことのない素晴らしいエルガーは嬉しかった。

終演の舞台挨拶が終わり、舞台から楽団員が引き上げていったが、3〜4百人しかいなかった観客のほとんどは帰らず、最後の最後までスタンディングオベーションで彼らを送りつづけた。そして、テミルカーノフが再度舞台に登場したときの光景は今までにない熱いものを感じた。テミルカーノフは1階、2階、3階席の四方に残っていたすべての人に何度も何度も感謝の視線を送り続けた。

観客全員が指揮者と視線を合わせたコンサートなどめったにない。

テミルカーノフは最初から最後まで全く手を抜くことなく、サンクトペテルブルク・フィルと観客をチャイコフスキーという糸で結びつけ、完全に一体化させたコンサートにした。ひょっとして、これは「伝説になるようなコンサート」なのかもしれないと、そのとき思わざるを得なかった。

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